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講孟余話 / 梁惠王下 第四章

樂以天下憂以天下、樂以天下憂以天下ト、是聖学ノ骨子ナリ、凢ソ聖学ノ主トスル所、修己治人ノ二途ニ過キズ、故ニ志伊尹之所志、学顏淵之所学ト云、又立志以明道希文爲主本ト云モ此義ニテ、顏淵・程明道皆聖人トナランコトヲ学フ人ナリ、是修己ノ学ナリ、伊尹・范希文ハ皆天下ヲ以テ任トスル人ナリ、是治人ノ学ナリ、凢ソ人ト生レ書ヲ読ミ道ヲ聞カサレハ詮方ナキコトナレトモ、苟モ已ニ書ヲ讀ミ道ヲ聞クヲ得ハ、此学ヲ勤メ此志ヲ勵マザルベケンヤ、今諸君ト幽囚ニ辱シメラルヽト雖トモ、幸ニ孟子ノ書ヲ講スルヲ得、何幸カ是ニ加ヘン、若シ天下ヲ以テ任トセントナラハ如何、先一心ヲ正シ、人倫ノ重キヲ思ヒ、皇国ノ尊キヲ思ヒ、夷狄ノ禍ヲ思ヒ、事ニ就キ類ニ觸レ、相共ニ切磋講究シ、死ニ至ル迄他念ナク、片言隻語モ是ヲ離ルヽコトナクンバ、縱令幽囚ニ死スト雖トモ、天下後世必ズ吾志ヲ継キ成ス者アラン、是レ聖人ノ志ト学トナリ、其他ノ栄辱窮達毀譽得喪ニ至テハ、命ノミ天ノミ、吾カ顧ル所ニ非サルナリ

新字:楽以天下憂以天下、楽以天下憂以天下ト、是聖学ノ骨子ナリ、凢ソ聖学ノ主トスル所、修己治人ノ二途ニ過キズ、故ニ志伊尹之所志、学顔淵之所学ト云、又立志以明道希文為主本ト云モ此義ニテ、顔淵・程明道皆聖人トナランコトヲ学フ人ナリ、是修己ノ学ナリ、伊尹・范希文ハ皆天下ヲ以テ任トスル人ナリ、是治人ノ学ナリ、凢ソ人ト生レ書ヲ読ミ道ヲ聞カサレハ詮方ナキコトナレトモ、苟モ已ニ書ヲ読ミ道ヲ聞クヲ得ハ、此学ヲ勤メ此志ヲ励マザルベケンヤ、今諸君ト幽囚ニ辱シメラルヽト雖トモ、幸ニ孟子ノ書ヲ講スルヲ得、何幸カ是ニ加ヘン、若シ天下ヲ以テ任トセントナラハ如何、先一心ヲ正シ、人倫ノ重キヲ思ヒ、皇国ノ尊キヲ思ヒ、夷狄ノ禍ヲ思ヒ、事ニ就キ類ニ触レ、相共ニ切磋講究シ、死ニ至ル迄他念ナク、片言隻語モ是ヲ離ルヽコトナクンバ、縦令幽囚ニ死スト雖トモ、天下後世必ズ吾志ヲ継キ成ス者アラン、是レ聖人ノ志ト学トナリ、其他ノ栄辱窮達毀誉得喪ニ至テハ、命ノミ天ノミ、吾カ顧ル所ニ非サルナリ

書き下し

楽しむに天下を以てし、憂ふるに天下を以てす。楽しむに天下を以てし、憂ふるに天下を以てすと、是れ聖学の骨子なり。凡そ聖学の主とする所、修己・治人の二途に過ぎず。故に伊尹の志す所を志し、顔淵の学ぶ所を学ぶと云ひ、又志を立つるに明道・希文を以て主本と為すと云ふも此の義にて、顔淵・程明道は皆聖人とならんことを学ぶ人なり、是れ修己の学なり。伊尹・范希文は皆天下を以て任とする人なり、是れ治人の学なり。凡そ人と生まれ、書を読み道を聞かざれば詮方なきことなれども、苟も已に書を読み道を聞くを得ば、此の学を勤め此の志を励まさざるべけんや。今諸君と幽囚に辱しめらるると雖も、幸ひに孟子の書を講ずるを得、何の幸ひか是れに加へん。若し天下を以て任とせんとならば如何。先づ一心を正し、人倫の重きを思ひ、皇国の尊きを思ひ、夷狄の禍を思ひ、事に就き類に触れ、相共に切磋講究し、死に至る迄他念なく、片言隻語も是れを離るることなくんば、縦令幽囚に死すと雖も、天下後世必ず吾が志を継ぎ成す者あらん。是れ聖人の志と学となり。其の他の栄辱・窮達・毀誉・得喪に至りては、命のみ天のみ、吾が顧みる所に非ざるなり。

現代語訳

「天下のことを楽しみとし、天下のことを憂いとする」。この言葉こそ聖人の学問の骨組みである。およそ聖人の学問が主とするのは、自分を修めることと人を治めることの二つの道にすぎない。だから「伊尹の志したことを志し、顔淵の学んだことを学ぶ」と言い、また「志を立てるには程明道と范仲淹(希文)を手本とする」と言うのも、この意味である。顔淵や程明道はみな聖人になることを学んだ人で、これは自分を修める学問である。伊尹や范仲淹はみな天下を自分の任とした人で、これは人を治める学問である。およそ人として生まれても、書を読み道を聞かなければ仕方がないが、もし書を読み道を聞くことができたなら、この学問に努め、この志を励まさずにいられようか。いま諸君と幽囚の辱めを受けているとはいえ、幸いに孟子の書を講じることができる。これ以上の幸せがあろうか。もし天下を自分の任としようとするなら、どうするか。まず心を正し、人倫の重さを思い、わが国の尊さを思い、外国の禍を思い、事に応じ類に触れて、共に磨き合い研究し、死ぬまでほかのことを考えず、一言半句もこれを離れないなら、たとえ幽囚のうちに死んでも、天下後世に必ず私の志を継いで成し遂げる者が出るだろう。これが聖人の志と学問である。そのほかの栄誉と恥辱、出世と不遇、誉れとそしり、得ることと失うことについては、運命であり天であって、私の気にかけるところではない。

解説

斉の宣王が離宮の雪宮で孟子に会い、孟子が「民の楽しみを楽しむ者は民もその楽しみを楽しむ」と説き、「楽しむに天下を以てし、憂ふるに天下を以てす」と結んだ章です。松陰はこの句を聖学の骨子と呼び、学問は自分を修めることと人を治めることの二つに尽きると説きます。そして獄中の仲間に、たとえ幽囚のまま死んでも、志を貫けば後世必ず継ぐ者が現れると語ります。後に松下村塾の門人たちがその志を継いだことを思うと、予言のように響く言葉です。栄辱や損得は天に任せ、志と学びに集中せよという一節です。

この章句が説くこと

修己治人志天下継承憂楽

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