講孟余話 / 盡心下 第三十八章
二章併セ論スヘシ、後章ハ、堯舜湯文孔子ヲ歷擧シテ身大道ヲ以テ自ラ任スルノ志ヲ示ス、所謂爲往聖継絶学ト是也、而シテ其後世ニ望ム所ノ意、言表ニ隱然タリ、結語、無有乎爾、則亦無有乎爾、前章ハ中道狂猥郷原ヲ論列シ、最モ狂猥ヲ渴思シ、大道ヲ傳ヘント欲ス、所謂爲萬世開太平ト是也、而シテ其孔子ヲ宗トシ、古人ニ継クノ意、語中ニ躍如タリ、通章、論語孔子ノ語ヲ以テ主トシ是カ註釋ヲ下ス、其意見ヘシ、孟子已ニ梁ノ惠襄斉ノ宣王ニ事ヘテ、道ヲ行フコトヲ得ズ、退テ天下ノ英才ヲ教育シ、後世ニ傳ヘント欲ス、其志悉ク此二章ニ見ユ、熟読精思セズンハアルベカラズ、
新字:二章併セ論スヘシ、後章ハ、堯舜湯文孔子ヲ歴挙シテ身大道ヲ以テ自ラ任スルノ志ヲ示ス、所謂為往聖継絶学ト是也、而シテ其後世ニ望ム所ノ意、言表ニ隠然タリ、結語、無有乎爾、則亦無有乎爾、前章ハ中道狂猥郷原ヲ論列シ、最モ狂猥ヲ渇思シ、大道ヲ伝ヘント欲ス、所謂為万世開太平ト是也、而シテ其孔子ヲ宗トシ、古人ニ継クノ意、語中ニ躍如タリ、通章、論語孔子ノ語ヲ以テ主トシ是カ註釈ヲ下ス、其意見ヘシ、孟子已ニ梁ノ恵襄斉ノ宣王ニ事ヘテ、道ヲ行フコトヲ得ズ、退テ天下ノ英才ヲ教育シ、後世ニ伝ヘント欲ス、其志悉ク此二章ニ見ユ、熟読精思セズンハアルベカラズ、
書き下し
二章併せ論ずべし。後章は、堯・舜・湯・文・孔子を歴挙して、身大道を以て自ら任ずるの志を示す。所謂「往聖の為に絶学を継ぐ」と是れなり。而して其の後世に望む所の意、言表に隠然たり。結語に「有ること無くんば、則ち亦有ること無からん」と。前章は中道・狂獧・郷原を論列し、最も狂獧を渇思し、大道を伝へんと欲す。所謂「万世の為に太平を開く」と是れなり。而して其の孔子を宗とし、古人に継ぐの意、語中に躍如たり。通章、論語の孔子の語を以て主とし、是れが註釈を下す、其の意見るべし。孟子已に梁の恵・襄、斉の宣王に事へて、道を行ふことを得ず、退いて天下の英才を教育し、後世に伝へんと欲す。其の志悉く此の二章に見ゆ。熟読精思せずんばあるべからず。
現代語訳
この二章はあわせて論じるべきである。後の章は、堯・舜・湯王・文王・孔子を順に挙げて、自ら大道を担う志を示している。いわゆる「過去の聖人のために絶えた学問を継ぐ」というのがこれである。そして後世に望む思いが、言葉の外ににじみ出ている。結びの言葉は「(今、道を見て知る者が)いないのなら、(後に聞いて知る者も)いないだろう」である。前の章は、中道の士・狂者・狷者・郷原を順に論じ、とりわけ狂者と狷者を渇望して、大道を伝えようとしている。いわゆる「万世のために太平を開く」というのがこれである。そして孔子を宗とし、古人を継ごうとする思いが、言葉の中に躍り出ている。章全体が『論語』の孔子の言葉を主として、その注釈を施しており、その意図は明らかである。孟子はすでに梁の恵王・襄王、斉の宣王に仕えたが道を行うことができず、退いて天下の英才を教育し、後世に伝えようとした。その志はすべてこの二章に現れている。よくよく読み、深く考えなければならない。
解説
この章句が説くこと
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