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洗心洞箚記 / 卷下・第百三條

伊川先生涪州之行、乃其厄也、其渡江、中流船幾覆、舟中人皆號哭、先生獨正襟安坐如常、已而及岸、同舟有老父、問曰、當危時、君獨無怖色、何也、曰、心存誠敬耳、老父曰、心存誠敬、固善、然不若無心、先生欲與之言、老父徑去不顧、此事儒林文苑中舊說話、而在人口耳旣已腐爛矣、似宜不語焉者、然人遭其境、則孰無心寒股栗不失其度者哉、故雖在口耳旣已腐爛、又當溫故而知新、是乃可謂善學也、

新字:伊川先生涪州之行、乃其厄也、其渡江、中流船幾覆、舟中人皆号哭、先生独正襟安坐如常、已而及岸、同舟有老父、問曰、当危時、君独無怖色、何也、曰、心存誠敬耳、老父曰、心存誠敬、固善、然不若無心、先生欲与之言、老父径去不顧、此事儒林文苑中旧説話、而在人口耳既已腐爛矣、似宜不語焉者、然人遭其境、則孰無心寒股栗不失其度者哉、故雖在口耳既已腐爛、又当温故而知新、是乃可謂善学也、

書き下し

伊川先生の涪州の行は、乃ち其の厄なり。其の江を渡るや、中流にて船幾ど覆らんとし、舟中の人皆号哭す。先生独り襟を正し安坐して常の如し。已にして岸に及ぶ。同舟に老父有り、問ひて曰く、危ふき時に当たりて、君独り怖るる色無きは、何ぞや、と。曰く、心に誠敬を存するのみ、と。老父曰く、心に誠敬を存するは、固より善し。然れども無心に若かず、と。先生之と言はんと欲するも、老父径ちに去りて顧みず。此の事は儒林文苑中の旧き説話にして、人の口耳に在りて既已に腐爛せり。宜しく語らざるべき者に似たり。然れども人其の境に遭へば、則ち孰か心寒え股栗すること無くして其の度を失はざる者ならんや。故に口耳に在りて既已に腐爛すと雖も、又当に故きを温めて新しきを知るべし。是れ乃ち善く学ぶと謂ふべきなり。

現代語訳

伊川先生(程頤)が涪州へ流されたのは、先生の災難であった。長江を渡るとき、流れの中ほどで船がほとんど転覆しかけ、舟中の人はみな泣き叫んだ。先生ひとりだけは襟を正し、いつもどおり落ち着いて座っていた。やがて岸に着いた。同じ舟に老人がいて、「危ういときに、あなただけ恐れる様子がなかったのはなぜか」と問うた。先生は「心に誠と敬を保っていただけだ」と答えた。老人は「心に誠敬を保つのはもちろんよい。だが無心には及ばない」と言った。先生が話をしようとすると、老人はさっさと立ち去って振り返らなかった。この話は儒者や文人の間の古い話で、人の口や耳にのぼり尽くして、もう腐りきっている。語るまでもないことのようにも思える。しかし人がその境遇に出会えば、心が凍え股が震えることなく、平静を失わずにいられる者がいるだろうか。だから口や耳に腐りきった話であっても、やはり古きを温めて新しきを知るべきである。それでこそよく学ぶと言える。

解説

ここから中斎は、程頤が流罪の途上で長江を渡り、転覆しかけた舟の中で平然としていた故事を語り始める。老人に「誠敬より無心がよい」と言われた話は当時すでに言い古されていたが、中斎は、いざその場に立てば誰もが取り乱すのだから、古い話こそ温め直すべきだと言う。論語の「温故知新」を、知識の更新ではなく、自分の身に引き当てて読み直すことと解している。現代でも、よく知られた教訓ほど聞き流しがちだが、危機の場面で役に立つのはそうした基本である。

この章句が説くこと

誠敬誠敬温故知新生死程子

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