言志四録 / 言志耋録 第九十二条 坦蕩蕩の容
坦蕩蕩之容。自常惺惺之敬來。常惺惺之敬。自活潑潑之誠出。
新字:坦蕩蕩之容。自常惺惺之敬来。常惺惺之敬。自活溌溌之誠出。
書き下し
坦蕩蕩の容は、常惺惺の敬より来る。常惺惺の敬は、活潑潑の誠より出づ。
現代語訳
広々としてゆったりとした姿は、常に心が目覚めている敬から生まれる。常に目覚めている敬は、生き生きとはたらく誠から出てくる。
解説
三つの畳語を連ねて、姿と敬と誠の関係を示した一条です。「坦蕩蕩」は『論語』述而篇の「君子は坦かに蕩蕩たり」に基づき、君子の広くゆったりした心のさま。「常惺惺」は宋の謝上蔡が敬を説明した言葉で、心が常にはっきり目覚めていることです。「活潑潑」は程明道が『中庸』の「鳶飛び魚躍る」を評した語で、生命が躍動するさまを言います。外に現れるゆとりは内なる覚醒から、覚醒はさらに奥の誠から出てくる、と一斎は根本へとたどります。余裕のある姿は取り繕って作れるものではない、ということでしょう。人前で落ち着いて見えることより、その落ち着きがどこから来ているかを考えさせる条です。
この章句が説くこと
敬誠坦蕩蕩常惺惺心の余裕
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