言志四録 / 言志晩録 別存 第三十七条 只だ是れ一誠
公曰。人道敬上愛下。只是一誠。無不可事之君父。無不可使之臣子。
書き下し
公曰く、「人道の上を敬ひ下を愛するは、只だ是れ一誠のみ。事ふべからざるの君父無く、使ふべからざるの臣子無し」と。
現代語訳
公(林述斎)は言った。「人の道において、目上を敬い目下を愛するのは、ただ一つの誠によるだけである。(誠があれば)仕えることのできない君主や父はなく、使うことのできない臣下や子はない」。
解説
上を敬うことも下を愛することも、根は一つの「誠」だと説く述斎の言葉です。誠をもってすれば、仕えにくい君主や父というものはなく、使いにくい臣下や子というものもない、と言います。前条では上役と小人それぞれへの接し方の「心」を分けて説いていましたが、ここではそれらを貫く一本の筋を示しています。誠は『中庸』で天の道とされ、一斎も『言志四録』で繰り返し重んじた概念です。相手が難しいと感じるとき、人はつい相手の側に原因を求めますが、述斎は、問われているのはこちらの誠だと示唆しています。上司とも部下ともうまくいかないと感じるとき、自分の向き合い方に偽りや計算がないかを見直す材料になる一条です。
この章句が説くこと
誠敬愛上下関係人道
関連する章句
-
言志四録・言志耋録 第九十九条 立誠は竪、居敬は横誠を立つるは、柱礎に似たり、是れ竪の工夫なり。敬に居るは、棟梁に似たり、是れ横の工夫なり。
-
言志四録・言志耋録 第三百三十四条 人道は誠敬のみ人道は只だ是れ誠敬のみ。生きては既に生を全うし、死しては乃ち死に安んず。敬よりして誠なり。生死は天より来る、順ひて之を受く。誠よりして敬なり。夫の短長を較べ、苦楽を説くに至りては、則ち竟に是れ男女親族の私情にして、死者に於ては此の遺念無きのみ。
-
言志四録・言志耋録 第九十二条 坦蕩蕩の容坦蕩蕩の容は、常惺惺の敬より来る。常惺惺の敬は、活潑潑の誠より出づ。
-
言志四録・言志晩録 第八十条 震艮の工夫は一に帰す「其の背に艮まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」とは、敬以て誠を存するなり。「震は百里を驚かせども、匕鬯を喪はず」とは、誠以て敬を行ふなり。震と艮とは正倒なれども、工夫は一に帰す。
-
『慎思録』巻之一聖人の人を教ふるや、人倫を厚くするに在り。人倫を厚くするの道は、人を愛し人を敬するを以て本と為す。是れ愛敬は、人倫を厚くするの道なり。父母に愛敬するは、又其の本なり。幼学の輩を教ふるに、先づ須らく愛敬を以てすべし。夫れ温恭にして自ら虚しくするは、子弟為る者の当に先づ服行すべき所なり。是れ乃ち人倫に接して善を為すの始めなり。
-
『都鄙問答』卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段答ふ、かくのごとき者を、世間並みの人と思ふべけれど、親へつかふる道は、曾て知らざる者なり。汝は書を読みながら、書を読まざる愚昧の者を、法とするゆへに、父母に事ふる道を知らず。昔し公明宣、曾子に学ぶこと三年、書を読まず。曾子曰く、宣、参の門に居ること三年、学ばざるは何ぞや。公明宣曰く、安んぞ敢へて学ばざらん。宣、夫子の庭に居るを見るに、親在せば、叱咤の声未だ嘗て犬馬に至らず。宣之を説びて、学べども未だ能はず、と云へり。曾子の如きは、親の前にては、犬や馬さへ怒りて叱り玉はず。然るに汝は、只養ふを孝と思へり。子曰く、今の孝は是れ能く養ふを謂ふ。犬馬に至るまで皆能く養ふこと有り。敬せずんば何を以て別たんや、と。是の如くなる時は、父母に事ふる道は、愛と敬との二つなり。愛は、いつくしみあいする心なり。敬は、つつしみうやまふ心なり。然るに汝は、父母の命を用ひずして心を痛ましむ。心を痛ましむるは、愛心なきが故なり。命を用ひざるは、敬心なきが故なり。愛敬の心なきは、鳥獣に同じ。汝は世に呼ばるるほどの孝を問ふ。聖賢の孝を聞かんと思はば、早く愛敬の心を知るべし。愛敬の心を知らば、聖賢の孝にも到るべし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る