洗心洞箚記 / 卷下・第八十六條
韓子曰、博愛之謂仁、行而宜之之謂義、由是而之焉之謂道、得於己無待於外之謂德、仁與義爲定名、道與德爲虛位、夫人心之仁、在天爲春、禮該在其中、故不別謂禮、人心之義、在天爲秋、智該在其中、故不別謂智、然則人心之仁義禮智、卽天之春夏秋冬也、而人有意慾則仁義亡矣、而去意慾則仁義無恙、而存乎方寸心、其踐之乎外也、則人道之常、故謂之道、蘊之乎內也、則天命之貴、故謂之德、要非歸乎太虛者、安能得保其仁義道德之全美也哉、故韓子繼此文曰、堯以是傳之舜、舜以是傳之禹、禹以是傳之湯、湯以是傳之文武周公、文武周公傳之孔子、孔子傳之孟軻云、夫八聖一賢、其氣爲浩然、則孟子旣與太虛一也、天生德於予也、則孔子固太虛也、狼跋其胡、載疐其尾、公孫碩膚、赤舄几几、雖遭流言之禍、嘗不以此爲心累、則周公亦固太虛也、文武禹湯堯舜、不言而皆其爲太虛可知矣、昔人謂韓子學文以見道、然其識旣至此、則庶乎聖學之嫡傳血脈者也歟、
新字:韓子曰、博愛之謂仁、行而宜之之謂義、由是而之焉之謂道、得於己無待於外之謂徳、仁与義為定名、道与徳為虚位、夫人心之仁、在天為春、礼該在其中、故不別謂礼、人心之義、在天為秋、智該在其中、故不別謂智、然則人心之仁義礼智、即天之春夏秋冬也、而人有意慾則仁義亡矣、而去意慾則仁義無恙、而存乎方寸心、其践之乎外也、則人道之常、故謂之道、蘊之乎内也、則天命之貴、故謂之徳、要非帰乎太虚者、安能得保其仁義道徳之全美也哉、故韓子継此文曰、堯以是伝之舜、舜以是伝之禹、禹以是伝之湯、湯以是伝之文武周公、文武周公伝之孔子、孔子伝之孟軻云、夫八聖一賢、其気為浩然、則孟子既与太虚一也、天生徳於予也、則孔子固太虚也、狼跋其胡、載疐其尾、公孫碩膚、赤舄几几、雖遭流言之禍、嘗不以此為心累、則周公亦固太虚也、文武禹湯堯舜、不言而皆其為太虚可知矣、昔人謂韓子学文以見道、然其識既至此、則庶乎聖学之嫡伝血脈者也歟、
書き下し
韓子曰く、博愛之を仁と謂ひ、行ひて之を宜しくする之を義と謂ひ、是に由りて之く之を道と謂ひ、己に得て外に待つ無き之を徳と謂ふ。仁と義とは定名たり、道と徳とは虚位たりと。夫れ人心の仁は、天に在りては春たり、礼該ねて其の中に在り、故に別に礼と謂はず。人心の義は、天に在りては秋たり、智該ねて其の中に在り、故に別に智と謂はず。然らば則ち人心の仁義礼智は、即ち天の春夏秋冬なり。而して人意慾有れば則ち仁義亡ぶ。而して意慾を去れば則ち仁義恙無くして、方寸の心に存す。其の之を外に践むや、則ち人道の常、故に之を道と謂ふ。之を内に蘊むや、則ち天命の貴、故に之を徳と謂ふ。要するに太虚に帰する者に非ずんば、安んぞ能く其の仁義道徳の全美を保つことを得んや。故に韓子此の文を継ぎて曰く、堯は是を以て之を舜に伝へ、舜は是を以て之を禹に伝へ、禹は是を以て之を湯に伝へ、湯は是を以て之を文武周公に伝へ、文武周公は之を孔子に伝へ、孔子は之を孟軻に伝ふと。夫れ八聖一賢、其の気浩然たれば、則ち孟子は既に太虚と一なり。天徳を予に生ずれば、則ち孔子は固より太虚なり。狼其の胡を跋み、載ち其の尾に疐(つまづ)く、公孫碩膚にして、赤舃几几たり。流言の禍に遭ふと雖も、嘗て此を以て心の累ひと為さざれば、則ち周公も亦固より太虚なり。文武禹湯堯舜は、言はずして皆其の太虚たること知るべし。昔人謂ふ韓子は文を学びて以て道を見ると。然れども其の識既に此に至れば、則ち聖学の嫡伝血脈に庶き者か。
現代語訳
韓子(韓愈)は言った。「広く愛することを仁といい、行ってそれを宜しくすることを義といい、これに従って行くことを道といい、自分に得て外に頼らないことを徳という。仁と義は定まった名であり、道と徳は空の位である」(『原道』)。そもそも人の心の仁は、天にあっては春であり、礼はその中に含まれているから、別に礼とは言わない。人の心の義は、天にあっては秋であり、智はその中に含まれているから、別に智とは言わない。そうであれば人の心の仁義礼智は、すなわち天の春夏秋冬である。そして人に私意と欲があれば仁義は失われ、私意と欲を去れば仁義は損なわれずに胸の内の心に存する。それを外に踏み行えば人の道の常であるから道といい、内に蓄えれば天命の貴いものであるから徳という。要するに太虚に帰する者でなければ、どうして仁義道徳の完全な美しさを保てようか。だから韓子はこの文に続けて言った。「堯はこれを舜に伝え、舜はこれを禹に伝え、禹はこれを湯に伝え、湯はこれを文王・武王・周公に伝え、文王・武王・周公はこれを孔子に伝え、孔子はこれを孟軻に伝えた」。そもそも八聖一賢のうち、孟子はその気が浩然であったのだから、すでに太虚と一つである。「天が徳を私に生じた」(『論語』述而篇)と言うのだから、孔子はもとより太虚である。「狼がそのあごの肉を踏み、またその尾につまずく。公孫は大いに美しく、赤い靴はゆったりとしている」(『詩経』豳風・狼跋)とあり、流言の禍に遭っても、それを心の煩いとしなかったのだから、周公もまたもとより太虚である。文王・武王・禹・湯・堯・舜は、言わなくてもみな太虚であったとわかる。昔の人は韓子を「文章を学んで道を見た」と言った。しかしその見識がすでにここまで至っているのだから、聖学の正統の血脈に近い者であろうか。
解説
この章句が説くこと
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