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洗心洞箚記 / 卷下・第七十九條

或問梁惠王曰寡人之於國也章之義、曰、惠王之盡心、與後章盡其心者、知其性也之盡心、字同而旨異、如不先辨之、而解一章之義、則費無數之言語、而天理人欲、終不能分曉也、夫惠王之盡心、卽盡人心者也、人心、便是人欲而不仁也、惠王好戰之心、乃人欲中尤不仁者也、盡人欲中尤不仁之心、而轉遷飢民以計較其多少、要欲肥己一身而極獨樂者也、與盜賊之心奚以異哉、是故終靡爛其民驅子弟以殉之、是皆自盡其人心上來、然則盡人心、不可不斷絕也、

新字:或問梁恵王曰寡人之於国也章之義、曰、恵王之尽心、与後章尽其心者、知其性也之尽心、字同而旨異、如不先弁之、而解一章之義、則費無数之言語、而天理人欲、終不能分暁也、夫恵王之尽心、即尽人心者也、人心、便是人欲而不仁也、恵王好戦之心、乃人欲中尤不仁者也、尽人欲中尤不仁之心、而転遷飢民以計較其多少、要欲肥己一身而極独楽者也、与盗賊之心奚以異哉、是故終靡爛其民駆子弟以殉之、是皆自尽其人心上来、然則尽人心、不可不断絶也、

書き下し

或ひと梁恵王曰く寡人の国に於けるやの章の義を問ふ。曰く、恵王の尽心と、後章の其の心を尽くす者は其の性を知るなりの尽心とは、字同じくして旨異なり。如し先づ之を弁ぜずして、一章の義を解すれば、則ち無数の言語を費して、天理人欲、終に分暁なること能はざるなり。夫れ恵王の尽心は、即ち人心を尽くす者なり。人心は、便ち是れ人欲にして不仁なり。恵王の戦を好むの心は、乃ち人欲の中尤も不仁なる者なり。人欲の中尤も不仁なるの心を尽くして、飢民を転遷し以て其の多少を計較す。要するに一身を肥やして独楽を極めんと欲する者なり。盗賊の心と奚を以て異ならんや。是の故に終に其の民を糜爛し子弟を駆りて以て之に殉ぜしむ。是れ皆自ら人心を尽くす上より来る。然らば則ち人心を尽くすは、断絶せざるべからざるなり。

現代語訳

ある人が「梁の恵王が『わたしの国の治め方は(心を尽くしている)』と言った」の章(『孟子』梁恵王上篇)の意味を問うた。答えた。「恵王の言う『尽心』と、後の章(尽心上篇)の『その心を尽くす者はその性を知る』の『尽心』とは、字は同じでも趣旨が違う。もしまずこれを区別しないで一章の意味を解けば、無数の言葉を費やしても、天理と人欲の区別はついにはっきりしない。そもそも恵王の尽心は、人心を尽くすものである。人心とは人欲であって不仁である。恵王の戦を好む心は、人欲の中でもとりわけ不仁なものである。人欲の中でもとりわけ不仁な心を尽くして、飢えた民を移しては、その(自国の民の)多い少ないを計算する。要するに自分一人を肥やして独りの楽しみを極めようとする者である。盗賊の心とどこが違おうか。だからついには民をただれさせ、子弟を駆り立てて戦に殉じさせた(尽心下篇)。これはみな自分で人心を尽くしたところから来ている。そうであれば、人心を尽くすことは断ち切らねばならない」。

解説

『孟子』梁恵王上篇で恵王が「心を尽くす」と自負した言葉を、尽心上篇の「其の心を尽くす者は其の性を知る」と区別して読む長い条の前半である。同じ尽心でも、恵王が尽くしたのは人欲としての人心であり、戦を好み民の数を勘定して己を肥やす心は盗賊と変わらないと中斎は断じる。『書経』大禹謨の人心・道心の区別を、孟子読解の鍵に据えている。現代の組織でも、「全力を尽くしている」という自負が、私欲や保身に向いていないかを問う必要がある。

この章句が説くこと

人心人欲尽心天理孟子仁

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