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大和俗訓 / 巻之三・心術上

一尙書曰、人心惟危、道心惟微、惟精惟一、允執厥中。是いにしへの大聖虞舜の帝の、天下を禹王と申せし聖人にゆづらせ給ふ時、天下を治め給ふ心法を傳へ給ふ御詞なり。人心とは人の身の耳目口體の形氣の好む所によつて起るを云ふ。形氣の好む所とは、目に色を好み、耳に聲をこのみ、口に味を好み、形には安かなる事を好むを云ふ。又よろこび、いかり、かなしみ、たのしみ、このみ、にくみ、ねがふの七情も、是形氣よりおこる人心なり。うゑて食を好み、寒くして衣を求め、つかれて形をやすむるの類。又七情も、皆是人情の、なくて叶はざる事なれば、聖人といへども、人心なき事あたはず。然れども、衆人は耳目口體の好むにまかせ、七情のおこるにまかせぬれば、ほどよき事をわすれ、たちまちに私欲にながれ、惡におちいる。

新字:一尚書曰、人心惟危、道心惟微、惟精惟一、允執厥中。是いにしへの大聖虞舜の帝の、天下を禹王と申せし聖人にゆづらせ給ふ時、天下を治め給ふ心法を伝へ給ふ御詞なり。人心とは人の身の耳目口体の形気の好む所によつて起るを云ふ。形気の好む所とは、目に色を好み、耳に声をこのみ、口に味を好み、形には安かなる事を好むを云ふ。又よろこび、いかり、かなしみ、たのしみ、このみ、にくみ、ねがふの七情も、是形気よりおこる人心なり。うゑて食を好み、寒くして衣を求め、つかれて形をやすむるの類。又七情も、皆是人情の、なくて叶はざる事なれば、聖人といへども、人心なき事あたはず。然れども、衆人は耳目口体の好むにまかせ、七情のおこるにまかせぬれば、ほどよき事をわすれ、たちまちに私欲にながれ、悪におちいる。

書き下し

一尚書に曰く、人心惟れ危く、道心惟れ微なり、惟れ精惟れ一、允に厥の中を執れ。是いにしへの大聖虞舜の帝の、天下を禹王と申せし聖人にゆづらせ給ふ時、天下を治め給ふ心法を伝へ給ふ御詞なり。人心とは人の身の耳目口体の形気の好む所によつて起るを云ふ。形気の好む所とは、目に色を好み、耳に声をこのみ、口に味を好み、形には安かなる事を好むを云ふ。又よろこび、いかり、かなしみ、たのしみ、このみ、にくみ、ねがふの七情も、是形気よりおこる人心なり。うゑて食を好み、寒くして衣を求め、つかれて形をやすむるの類。又七情も、皆是人情の、なくて叶はざる事なれば、聖人といへども、人心なき事あたはず。然れども、衆人は耳目口体の好むにまかせ、七情のおこるにまかせぬれば、ほどよき事をわすれ、たちまちに私欲にながれ、悪におちいる。

現代語訳

『書経』に「人心はこれ危うく、道心はこれかすかである。これを精しく見分け、これを一つに守って、まことにその中を執れ」とあります。これは昔の大聖人である舜帝が、天下を禹王という聖人にお譲りになったとき、天下を治める心の法を伝えられたお言葉です。人心とは、人の身の耳・目・口・体という肉体の好むところから起こる心をいいます。肉体の好むところとは、目は色を好み、耳は声を好み、口は味を好み、体は安楽なことを好むことをいいます。また喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、好み、憎み、願うという七情も、この肉体から起こる人心です。飢えれば食を好み、寒ければ衣を求め、疲れれば体を休めるといった類いです。また七情も、みな人の情としてなくてはならないものですから、聖人であっても人心がないということはありえません。けれども普通の人は、耳目口体の好むままに任せ、七情の起こるままに任せてしまうので、程よいということを忘れ、たちまち私欲に流れて悪に落ちてしまいます。

解説

ここで引かれる十六字は『書経』大禹謨の句で、朱子学では「十六字心法」と呼ばれ、心の修養の根本とされました。益軒は人心を、食欲や安楽を求める体から生じる心と定義し、聖人にもあるものだと認めます。欲そのものを悪とせず、ほどよさを忘れて任せきりにすることが危ういというのです。空腹や疲れという自然な欲求を否定しない姿勢は、無理な禁欲より長続きする自己管理の考え方として、今の健康や働き方にも生かせます。

この章句が説くこと

人心道心欲心法書経

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