洗心洞箚記 / 卷下・第七十六條
淸朝之學者、多不貴良知、非他、是阿上之所惡而已矣、上之所惡、亦非他、良知卽孝弟而已矣、士人如眞盡孝弟之心、則其害乎己有不可勝言者、惡之以此也、吁、非勢乎、
新字:清朝之学者、多不貴良知、非他、是阿上之所悪而已矣、上之所悪、亦非他、良知即孝弟而已矣、士人如真尽孝弟之心、則其害乎己有不可勝言者、悪之以此也、吁、非勢乎、
書き下し
清朝の学者、多く良知を貴ばず。他に非ず、是れ上の悪む所に阿るのみ。上の悪む所も、亦他に非ず。良知は即ち孝弟のみ。士人如し真に孝弟の心を尽くさば、則ち其の己を害すること勝げて言ふべからざる者有り。之を悪むは此を以てなり。吁、勢ひに非ずや。
現代語訳
清朝の学者の多くは良知を貴ばない。ほかでもない、上(朝廷)の嫌うところにおもねっているだけである。上の嫌うわけもほかでもない。良知とは孝悌にほかならない。士人がもし本当に孝悌の心を尽くせば、上にとってその害は言い尽くせないほどある。上がそれを嫌うのはこのためである。ああ、これも時勢ではないか。
解説
前条に続き、清朝の学界が良知説を退けた理由を推す短い条である。良知は孝悌そのものであり、孝悌の心を尽くす士は明への旧恩を忘れず、新王朝にとって脅威となる。だから朝廷は良知を嫌い、学者はそれにおもねったと中斎は言う。学説の盛衰を権力への迎合として見る、中斎の鋭い、しかし推測を交えた見方である。のちに大坂で乱を起こす中斎の、権勢への批判意識もうかがえる。現代でも、組織で何が評価されるかは、上の好悪に左右されやすい。
この章句が説くこと
良知孝弟阿諛時勢学問清朝
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