洗心洞箚記 / 卷下・第七十四條
莊子曰、子之愛親、命也、不可解於心、臣之事君、義也、無所逃於天地間、此似儒者之語、而如非異端空寂者之所言也、故昔人曰、莊子與老子同而異、孔子異而同、然其不可解者、固不學不慮之良知、而無所逃之情、乃出乎勉強、其於君臣之義未分曉卽可見矣、是所以其異端而非儒也矣、
新字:荘子曰、子之愛親、命也、不可解於心、臣之事君、義也、無所逃於天地間、此似儒者之語、而如非異端空寂者之所言也、故昔人曰、荘子与老子同而異、孔子異而同、然其不可解者、固不学不慮之良知、而無所逃之情、乃出乎勉強、其於君臣之義未分暁即可見矣、是所以其異端而非儒也矣、
書き下し
荘子曰く、子の親を愛するは、命なり、心に解くべからず。臣の君に事ふるは、義なり、天地の間に逃るる所無しと。此れ儒者の語に似て、異端空寂の者の言ふ所に非ざるが如きなり。故に昔人曰く、荘子は老子と同じくして異なり、孔子と異にして同じと。然れども其の解くべからざる者は、固より学ばず慮らざるの良知なるも、而して逃るる所無きの情は、乃ち勉強に出づ。其の君臣の義に於て未だ分暁ならざること即ち見るべし。是れ其の異端にして儒に非ざる所以なり。
現代語訳
荘子は言った。「子が親を愛するのは命であり、心から解き去ることはできない。臣が君に仕えるのは義であり、天地の間に逃れる所はない」(『荘子』人間世篇)。これは儒者の言葉に似ていて、空寂を説く異端の者の言うことではないかのようである。だから昔の人は「荘子は老子と同じでいて異なり、孔子と異なっていて同じだ」と言った。しかし、その「解き去ることはできない」というのはもとより学ばず考えずに持つ良知であるが、「逃れる所がない」という情は、無理強いから出ている。荘子が君臣の義についてまだはっきりわかっていないことが、これで見て取れる。これこそ荘子が異端であって儒ではないゆえんである。
解説
この章句が説くこと
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