洗心洞箚記 / 卷下・第六十九條
太虛卽實理實氣充塞滿布、而有形之類、雖不虛乎中者、亦皆有至虛之存焉、見草木可知、水淸則魚樂、泥濁加焉則魚病、氣純則人榮、逆沴加焉則人疫、因覺人在氣中、猶魚在水之說、
新字:太虚即実理実気充塞満布、而有形之類、雖不虚乎中者、亦皆有至虚之存焉、見草木可知、水清則魚楽、泥濁加焉則魚病、気純則人栄、逆沴加焉則人疫、因覚人在気中、猶魚在水之説、
書き下し
太虚は即ち実理実気充塞満布す。而して有形の類、中に虚ならざる者と雖も、亦皆至虚の存する有り。草木を見て知るべし。水清ければ則ち魚楽しみ、泥濁加はれば則ち魚病む。気純なれば則ち人栄え、逆沴加はれば則ち人疫む。因りて人の気中に在るは、猶ほ魚の水中に在るがごとしの説を覚る。
現代語訳
太虚とは、実の理と実の気がすみずみまで満ち広がっているものである。だから形のあるもので、中が空でないものであっても、みなその内に至虚が存している。草木を見ればわかる。水が清ければ魚は楽しみ、泥の濁りが加われば魚は病む。気が純粋であれば人は栄え、乱れた悪い気が加われば人は病む。これによって、人が気の中にいるのは、魚が水の中にいるようなものだという説を悟った。
解説
短い二条を束ねた。前条は、太虚は空無ではなく実理実気に満ちており、草木のように中の詰まった物にも至虚があると言う。後条は、魚が水の清濁で楽しみ病むように、人も気の純不純で栄え病むと言い、「人は気中に在ること魚の水中に在るが如し」という説に思い至る。張載以来の気の思想を、身近な観察で確かめる中斎の姿勢が見える。現代でも、職場の空気や家庭の雰囲気は、魚にとっての水のように人の心身を左右する。環境を整えることも修養である。
この章句が説くこと
太虚気実理環境張載陽明学
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