洗心洞箚記 / 卷下・第五十六條
虛亦有人爲之虛、與天成之虛之別、人爲之虛者、卽宮室空豁之類也、天成之虛者、卽人物心口之類也、人爲之虛乃不靈、而天成之虛皆含其靈、而人受之以最秀者也、然人有欲、則天成之虛反爲不靈、而人爲之虛、則以本不有心、容物無終始焉、而要皆是太虛之分散也、故無欲則天成之虛、其靈乃如神、而人爲之虛、容物如此、則虛之德、豈非貴乎、
新字:虚亦有人為之虚、与天成之虚之別、人為之虚者、即宮室空豁之類也、天成之虚者、即人物心口之類也、人為之虚乃不霊、而天成之虚皆含其霊、而人受之以最秀者也、然人有欲、則天成之虚反為不霊、而人為之虚、則以本不有心、容物無終始焉、而要皆是太虚之分散也、故無欲則天成之虚、其霊乃如神、而人為之虚、容物如此、則虚之徳、豈非貴乎、
書き下し
虚にも亦人為の虚と、天成の虚との別有り。人為の虚は、即ち宮室空豁の類なり。天成の虚は、即ち人物の心口の類なり。人為の虚は乃ち霊ならず、而して天成の虚は皆其の霊を含む。而して人之を受くるに最秀なる者を以てす。然れども人欲有れば、則ち天成の虚反つて霊ならずと為る。而して人為の虚は、則ち本心有らざるを以て、物を容るること終始無し。而して要するに皆是れ太虚の分散なり。故に欲無ければ則ち天成の虚、其の霊乃ち神の如し。而して人為の虚すら、物を容るること此の如くんば、則ち虚の徳、豈に貴きに非ずや。
現代語訳
虚にも人が作った虚と、天が成した虚との区別がある。人が作った虚とは、家屋や部屋の空いた広がりのたぐいである。天が成した虚とは、人や物の心や口のたぐいである。人が作った虚には霊妙さがなく、天が成した虚はみな霊妙さを含んでいる。そして人はそれを最もすぐれた形で受けている。けれども人に欲があると、天が成した虚がかえって霊妙でなくなる。一方、人が作った虚は、もともと心がないので、物を受け入れることに終わりも始まりもない。要するにどちらも太虚が分かれ散ったものである。だから欲がなければ天が成した虚はその霊妙さが神のようになる。人が作った虚でさえこのように物を受け入れるのだから、虚の徳はなんと貴いではないか。
解説
この章句が説くこと
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