洗心洞箚記 / 卷下・第五十四條
閉眼反觀之、則方寸之虛亦春夏秋冬焉耳、開眼放觀之、則天之太虛亦仁義禮智焉耳、天人合一無疑矣、不知障乎雨、而到於與人所約處、便是知命也、如先卜將雨而不到焉、便是不知命也、夫君子之云命者、非卜筮及世俗所云之命者也、體道者而後能知之、
新字:閉眼反観之、則方寸之虚亦春夏秋冬焉耳、開眼放観之、則天之太虚亦仁義礼智焉耳、天人合一無疑矣、不知障乎雨、而到於与人所約処、便是知命也、如先卜将雨而不到焉、便是不知命也、夫君子之云命者、非卜筮及世俗所云之命者也、体道者而後能知之、
書き下し
眼を閉ぢて之を反観すれば、則ち方寸の虚も亦春夏秋冬なるのみ。眼を開きて之を放観すれば、則ち天の太虚も亦仁義礼智なるのみ。天人合一疑ひ無し。雨に障らるるを知らずして、人と約する所の処に到る、便ち是れ命を知るなり。如し先づ将に雨ふらんとするを卜して到らざれば、便ち是れ命を知らざるなり。夫れ君子の命と云ふ者は、卜筮及び世俗の云ふ所の命に非ざるなり。道を体する者にして後能く之を知る。
現代語訳
目を閉じて内を振り返って見れば、胸の内の虚もまた春夏秋冬にほかならない。目を開いて外を広く見れば、天の太虚もまた仁義礼智にほかならない。天と人とが一つであることに疑いはない。雨に妨げられることを気にかけず、人と約束した場所に行く、これが命を知るということである。もし前もって雨が降りそうだと占って行かないなら、それは命を知らないのである。そもそも君子の言う命とは、占いや世間でいう運命のことではない。道を身に体した者であってはじめて、それを知ることができる。
解説
短い二条を束ねた。前条は、心の虚に四季があり天の太虚に仁義礼智があると見て、天人合一を確かめる。後条は、雨でも約束の場所へ行くことを「命を知る」とし、占いで行動を決める世俗の命と区別する。中斎にとって命とは吉凶の予言ではなく、道に従って為すべきことを為す覚悟である。太虚の思想が、約束を守るという素朴な実践に結びつく。現代でも、条件が悪いことを理由に約束や責任を果たさない誘惑は多い。命を知るとは、言い訳を占わないことである。
この章句が説くこと
天人合一太虚命知命仁義約束
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『洗心洞箚記』卷下・第三十六條口耳の虚より、五臓方寸の虚に至るまで、皆是れ太虚の虚なり。而して太虚の霊、尽く五臓方寸の虚に萃まる。便ち是れ仁義礼智の家する所なり。其の家する所の仁義礼智は、即ち太虚の循環する所の春夏秋冬なるのみ。是に由りて之を観れば、則ち仁義礼智と春夏秋冬とは、異にして同じ。故に昔人曰く、人は天なり、天は人なりと。夫子の所謂、天何をか言はんや、四時行はれ、百物生ず、天何をか言はんやとは、是れ天を将て人の徳を言ふなり。然らば則ち天は人なり人は天なりと曰ふも、亦理ならずや。
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