洗心洞箚記 / 卷上・第二條
軀殼外之虛、便是天也、天者、吾心也、心蘊含萬有、於是焉可悟矣、故有血氣者至草木瓦石、視其死、視其摧折、視其毀壞、則令感傷吾心、以本爲心中物故也、若先有慾而塞心、則心非虛、非虛則頑然一小物、而非天體也、便與骨肉旣分隔了、何況其他耶、名之以小人、不亦理乎、
新字:躯殼外之虚、便是天也、天者、吾心也、心蘊含万有、於是焉可悟矣、故有血気者至草木瓦石、視其死、視其摧折、視其毀壊、則令感傷吾心、以本為心中物故也、若先有慾而塞心、則心非虚、非虚則頑然一小物、而非天体也、便与骨肉既分隔了、何況其他耶、名之以小人、不亦理乎、
書き下し
躯殻の外の虚は、便ち是れ天なり。天とは、吾が心なり。心は万有を蘊含す。是に於てか悟るべし。故に血気有る者より草木瓦石に至るまで、其の死を視、其の摧折を視、其の毀壊を視れば、則ち吾が心を感傷せしむ。本と心中の物為るを以ての故なり。若し先づ慾有りて心を塞げば、則ち心虚に非ず。虚に非ざれば則ち頑然たる一小物にして、天体に非ざるなり。便ち骨肉と既に分隔し了る。何ぞ況んや其の他をや。之に名づくるに小人を以てするは、亦理ならずや。
現代語訳
体の外の虚が、すなわち天である。天とは私の心である。心は万物を包み含んでいる。ここで悟ることができる。だから血の通う生き物から草木や瓦や石に至るまで、その死を見、折れ砕けるのを見、壊れるのを見ると、私の心が痛むのは、それらがもともと心の中のものだからである。もし先に欲があって心を塞げば、心は虚ではない。虚でなければ、心はかたくなな一つの小さな物にすぎず、天の本体ではない。そうなれば肉親とさえすでに隔たってしまう。まして他人はなおさらだ。これを小人と名づけるのは、もっともではないか。
解説
この章句が説くこと
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