洗心洞箚記 / 卷上・第六十九條
孟子盡其心者、知其性也、知性則知天矣、知天者、正是見得心之虛卽爲太虛、乃與天齊、學者至此、亦聖人也夫、瞻日色薄而月光明、則知者知陰凌陽矣、見眸子眊而血氣浮、則明者知邪勝正矣、天人本是通一、不可欺者也、
新字:孟子尽其心者、知其性也、知性則知天矣、知天者、正是見得心之虚即為太虚、乃与天斉、学者至此、亦聖人也夫、瞻日色薄而月光明、則知者知陰凌陽矣、見眸子眊而血気浮、則明者知邪勝正矣、天人本是通一、不可欺者也、
書き下し
孟子の「其の心を尽す者は、其の性を知るなり。性を知れば則ち天を知る」と。天を知るとは、正に是れ心の虚の即ち太虚たるを見得て、乃ち天と斉しきなり。学者此に至れば、亦聖人なるかな。日色薄くして月光明らかなるを瞻れば、則ち知者は陰の陽を凌ぐを知る。眸子眊くして血気浮くを見れば、則ち明者は邪の正に勝つを知る。天人本是れ通一にして、欺くべからざる者なり。
現代語訳
孟子は「その心を尽くす者はその性を知る。性を知れば天を知る」と言った。天を知るとは、まさに心の虚がそのまま太虚であると見て取り、そこで天と等しくなることである。学ぶ者がここに至れば、やはり聖人である。日の光が薄く月の光が明るいのを見れば、知恵ある者は陰が陽をしのいでいると知る。瞳が濁って血気が浮ついているのを見れば、聡明な者は邪が正に勝っていると知る。天と人とはもともと通じて一つであり、欺くことのできないものである。
解説
二条を束ねた。前半は『孟子』尽心上の「尽心知性知天」を、心の虚がそのまま太虚であると見ることだと読み替える。中斎の陽明学の要である「太虚に帰す」を孟子に根拠づけた条である。後半は、天の陰陽の偏りが日月の光に現れるように、人の心の邪正は瞳や血色に現れると言い、天人は一つで隠しおおせないと説く。孟子にも、胸中が正しくなければ瞳がくらむという言葉がある。表情や態度には心の状態が出てしまう。人を見る目も、自分を整える工夫も、ここから始まる。
この章句が説くこと
太虚心性天孟子陽明学
関連する章句
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