洗心洞箚記 / 卷下・第四十七條
讀祝鮀章、嘆曰、春秋之世、好佞悅美、蓋當其時、大學之道旣亡、而致知之敎自廢矣、是故人人不知心神明爲何物、只觸氣隨意、好佞悅美而已、故祝鮀輩得志以行姦、而其爲君者、昏然爲其所欺罔、與無知之物一般、遂至於亡身以破家國、要之以不知其致良知也、後人如不知致良知、則祝鮀輩何世無之、恐爲他亦所欺罔、聖人載之言、不惟誡當時、爲天下萬世立言也、讀之者、豈可忽哉、
新字:読祝鮀章、嘆曰、春秋之世、好佞悦美、蓋当其時、大学之道既亡、而致知之教自廃矣、是故人人不知心神明為何物、只触気随意、好佞悦美而已、故祝鮀輩得志以行姦、而其為君者、昏然為其所欺罔、与無知之物一般、遂至於亡身以破家国、要之以不知其致良知也、後人如不知致良知、則祝鮀輩何世無之、恐為他亦所欺罔、聖人載之言、不惟誡当時、為天下万世立言也、読之者、豈可忽哉、
書き下し
祝鮀の章を読みて、嘆じて曰く、春秋の世、佞を好み美を悦ぶ。蓋し其の時に当りて、大学の道既に亡びて、致知の教自ら廃れたり。是の故に人人心の神明の何物たるを知らず、只気に触れ意に随ひ、佞を好み美を悦ぶのみ。故に祝鮀の輩志を得て以て姦を行ひ、而して其の君たる者、昏然として其の欺罔する所と為り、無知の物と一般にして、遂に身を亡ぼし以て家国を破るに至る。之を要するに其の良知を致すを知らざるを以てなり。後人如し致良知を知らずんば、則ち祝鮀の輩何れの世か之れ無からん。恐らくは他の亦欺罔する所と為らん。聖人之を言に載するは、惟だ当時を誡むるのみならず、天下万世の為に言を立つるなり。之を読む者、豈に忽にすべけんや。
現代語訳
(『論語』雍也篇の)祝鮀の章を読んで、嘆いて言った。春秋の世は口先のうまさを好み、見目のよさを喜んだ。思うにその時代には、大学の道がすでに滅び、知を致す教えは自然と廃れていたのである。だから人々は心の神明(霊妙なはたらき)が何であるかを知らず、ただ気分に触れ思いのままに、口達者を好み美貌を喜ぶだけであった。それで祝鮀(衛の大夫、弁舌の人)のような者が思いを遂げて悪事を行い、君主たる者はぼんやりとその者にだまされ、知のない物と変わらず、ついには身を滅ぼし家も国も破るに至った。要するに、良知を発揮することを知らなかったからである。後の人も致良知を知らなければ、祝鮀のような者はどの時代にもいるのだから、おそらくやはりその者にだまされるであろう。聖人がこれを言葉に残したのは、ただ当時を戒めただけでなく、天下万世のために言を立てたのである。これを読む者は、どうしておろそかにしてよいだろうか。
解説
この章句が説くこと
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