洗心洞箚記 / 卷下・第三十七條
方寸之虛、與太虛不可刻不通也、如隔而不通焉、則非生人也、何者、今以物塞乎口中、卽方寸之虛閉、而呼吸絕矣、忽爲死人、故方寸之虛、不可刻不通於太虛也、是無他、以太虛卽心之本體故也、亦何疑也哉、要置身於安焉、卽人情也、然任其情、則不可與入於道矣、聖人卽有言之太虛、太虛卽不言之聖人、
新字:方寸之虚、与太虚不可刻不通也、如隔而不通焉、則非生人也、何者、今以物塞乎口中、即方寸之虚閉、而呼吸絶矣、忽為死人、故方寸之虚、不可刻不通於太虚也、是無他、以太虚即心之本体故也、亦何疑也哉、要置身於安焉、即人情也、然任其情、則不可与入於道矣、聖人即有言之太虚、太虚即不言之聖人、
書き下し
方寸の虚は、太虚と刻も通ぜざるべからざるなり。如し隔てて通ぜざれば、則ち生人に非ざるなり。何となれば、今物を以て口中を塞げば、即ち方寸の虚閉ぢて、呼吸絶ゆ。忽ち死人と為る。故に方寸の虚は、刻も太虚に通ぜざるべからざるなり。是れ他無し、太虚は即ち心の本体なるを以ての故なり。亦何ぞ疑はんや。身を安きに置かんことを要するは、即ち人情なり。然れども其の情に任すれば、則ち与に道に入るべからず。聖人は即ち言有るの太虚、太虚は即ち言はざるの聖人なり。
現代語訳
方寸(胸のうち)の虚は、太虚とひとときも通じていないことがあってはならない。もし隔たって通じなければ、生きた人ではない。なぜなら、いま物で口の中をふさげば、方寸の虚は閉ざされて呼吸が絶え、たちまち死人になるからである。だから方寸の虚は、ひとときも太虚に通じていないことがあってはならない。ほかでもない、太虚こそが心の本体だからである。何を疑うことがあろう。身を安楽なところに置きたいと望むのは、人の情である。しかしその情に任せれば、ともに道に入ることはできない。聖人とは言葉を持つ太虚であり、太虚とは言葉を発しない聖人である。
解説
この章句が説くこと
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