導師導古典を学びたいすべての人に

洗心洞箚記 / 卷下・第三十二條

眞西山先生曰、大舜十六字、開萬世心學之源、後之聖賢更相授受、雖若不同、然大要敎人守道心之正、而遏人心之流耳、此明言心學二字也、陽明先生曰、君子之學、惟求得其心、雖至於位天地育萬物、未有出於吾心之外也、王龍溪先生曰、夫千古聖人之學、心學也、太極者、心之極也、而至毛西河先生、解得心學尤明快痛切、其文之畧曰、心學是眞聖學、毋論道心惟微十六字之傳始于堯舜、卽孔子曰、操則存、操此心也、大學曰、正心、孟子曰、存其心、又曰、求其放心、皆專治此心也、故曾子一貫之學、祇是一恕、無非心學、

新字:真西山先生曰、大舜十六字、開万世心学之源、後之聖賢更相授受、雖若不同、然大要教人守道心之正、而遏人心之流耳、此明言心学二字也、陽明先生曰、君子之学、惟求得其心、雖至於位天地育万物、未有出於吾心之外也、王竜渓先生曰、夫千古聖人之学、心学也、太極者、心之極也、而至毛西河先生、解得心学尤明快痛切、其文之略曰、心学是真聖学、毋論道心惟微十六字之伝始于堯舜、即孔子曰、操則存、操此心也、大学曰、正心、孟子曰、存其心、又曰、求其放心、皆専治此心也、故曽子一貫之学、祇是一恕、無非心学、

書き下し

真西山先生曰く、大舜の十六字は、万世心学の源を開く。後の聖賢、更々相授受し、同じからざるが若しと雖も、然れども大要は人に道心の正を守りて、人心の流れを遏むるを教ふるのみと。此れ明らかに心学の二字を言ふなり。陽明先生曰く、君子の学は、惟だ其の心を得んことを求む。天地を位し万物を育するに至ると雖も、未だ吾が心の外に出づる有らざるなりと。王龍渓先生曰く、夫れ千古聖人の学は、心学なり。太極は、心の極なりと。而して毛西河先生に至りて、心学を解き得て尤も明快痛切なり。其の文の略に曰く、心学は是れ真の聖学なり。道心惟微の十六字の伝の堯舜に始まるを論ずる毋れ。即ち孔子曰く、操れば則ち存すと、此の心を操るなり。大学に曰く、心を正すと。孟子曰く、其の心を存すと。又曰く、其の放心を求むと。皆専ら此の心を治むるなり。故に曾子一貫の学は、祇是れ一恕にして、心学に非ざる無し。

現代語訳

真西山先生(真徳秀)は言う。「大舜の十六字(人心惟危、道心惟微、惟精惟一、允執厥中)は、万世の心学の源を開いた。後の聖賢がかわるがわる授け受けたものは、同じでないように見えても、その大要は人に道心の正しさを守らせ、人心の流れを食い止めることを教えるにすぎない。」これは「心学」の二字をはっきり言ったものである。陽明先生は言う。「君子の学は、ただその心を得ることを求める。天地を正しい位置に置き万物を育むに至っても、わが心の外に出ることはない。」王龍渓先生(王畿)は言う。「千古の聖人の学は心学である。太極とは心の極みである。」そして毛西河先生(毛奇齢)に至って、心学をいっそう明快に痛切に解き明かした。その文の要点はこうである。「心学こそ真の聖学である。道心惟微の十六字の伝えが堯・舜に始まることは言うまでもない。孔子が『操れば存す』と言ったのは、この心を操ることである。『大学』に『心を正す』と言い、孟子が『その心を存す』と言い、また『その放心を求む』と言ったのは、みなもっぱらこの心を治めることである。だから曾子の一貫の学は、ただ一つの恕であって、心学でないものはない。」

解説

反論の続きで、朱子学者の真徳秀が「心学」の二字を明言していることを示し、陽明・王畿の言葉、さらに毛奇齢の説を引いて、孔子の「操れば存す」、『大学』の正心、孟子の存心・求放心、曾子の一貫までをすべて心学として貫く段である。唐伯元の「六経孔孟に心学の語は無い」という主張に対し、語の有無ではなく教えの中身で答えている。言葉の表面ではなく中身で筋を通す論法であり、規程や言葉の有無にとらわれて本来の目的を見失う議論への手本ともなる。

この章句が説くこと

心学道心人心正心一貫真徳秀

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る