洗心洞箚記 / 卷下・第三十條
質勝文者、雖不事多聞多見、而良知不失乎內、猶如石中火、特未顯於用耳、故曰野、文勝質者、嘗不信良知、而博識意見、只馳於外、猶如燎原火、旣失本體矣、故曰史、若夫從事精一執中之學者、則不失良知於內、而致之於事事物物、發皆中節矣、雖不欲彬彬得乎、故曰君子、晴夜起、仰觀天文、乃知古聖賢文章有法、而參錯爛燦明白神奇者、咸則這箇來、
新字:質勝文者、雖不事多聞多見、而良知不失乎内、猶如石中火、特未顕於用耳、故曰野、文勝質者、嘗不信良知、而博識意見、只馳於外、猶如燎原火、既失本体矣、故曰史、若夫従事精一執中之学者、則不失良知於内、而致之於事事物物、発皆中節矣、雖不欲彬彬得乎、故曰君子、晴夜起、仰観天文、乃知古聖賢文章有法、而参錯爛燦明白神奇者、咸則這箇来、
書き下し
質、文に勝つ者は、多聞多見を事とせずと雖も、良知内に失はず。猶ほ石中の火の如く、特に未だ用に顕れざるのみ。故に野と曰ふ。文、質に勝つ者は、嘗て良知を信ぜず、博識意見、只外に馳せ、猶ほ燎原の火の如く、既に本体を失ふ。故に史と曰ふ。若し夫れ精一執中の学に従事する者は、則ち良知を内に失はずして、之を事事物物に致し、発して皆節に中る。彬彬たるを欲せずと雖も得んや。故に君子と曰ふ。晴夜に起きて、仰ぎて天文を観、乃ち古聖賢の文章に法有りて、参錯爛燦明白神奇なる者は、咸這箇に則り来たるを知る。
現代語訳
質朴さが文飾にまさる者は、多くを聞き多くを見ることに努めなくても、良知を内に失っていない。ちょうど石の中の火のように、ただまだ働きとして表に出ていないだけである。だから「野」(粗野)という。文飾が質朴さにまさる者は、もともと良知を信じず、博識や意見がひたすら外へ走り、ちょうど野を焼く火のように、すでに本体を失っている。だから「史」(文書役人風)という(『論語』雍也篇)。精一執中(『書経』大禹謨「惟精惟一、允執厥中」)の学に努める者は、良知を内に失わず、それをあらゆる事物に致して、発すればみな節度にかなう。文と質がほどよく調和すること(彬彬)を望まなくても、そうならずにいられようか。だから「君子」という。晴れた夜に起きて、仰いで天の模様(天文)を観ると、古の聖賢の文章に法があり、入りまじりながらきらびやかで、明白で神妙なものは、みなこれに則ってきたのだとわかる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・顔淵篇司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず懼れず。」曰く、「憂えず懼れざれば、斯れ之を君子と謂うか。」子曰く、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。」
-
論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
-
論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
-
論語・為政篇子曰く、「君子は器ならず。」
-
論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
-
荀子・哀公篇哀公曰く、善し。敢えて問う、何如なれば斯ち之を君子と謂うべきか、と。孔子対えて曰く、所謂る君子なる者は、言は忠信にして心に徳とせず、仁義身に在りて色に伐(ほこ)らず、思慮明通にして辞は争わず。故に猶然として将に及ぶべきが如き者は、君子なり、と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る