洗心洞箚記 / 卷上・第五十條
穰苴斬後期寵臣、孫武斬背約愛姬、世以此爲二子之創意焉、決非二子之創意也、自周官大司馬之法來、曰羣吏聽誓于陳前、斬牲以左右徇陳曰、不用命者斬之、又曰、及致建大常、比軍衆、誅後至者、二子眞行斯事焉耳、春秋戰國間之名將、皆明於成周軍制、非特二子也、然彭越誅最後者一人、此則必傚二子之顰者歟、
新字:穰苴斬後期寵臣、孫武斬背約愛姫、世以此為二子之創意焉、決非二子之創意也、自周官大司馬之法来、曰羣吏聴誓于陳前、斬牲以左右徇陳曰、不用命者斬之、又曰、及致建大常、比軍衆、誅後至者、二子真行斯事焉耳、春秋戦国間之名将、皆明於成周軍制、非特二子也、然彭越誅最後者一人、此則必傚二子之顰者歟、
書き下し
穰苴の後期の寵臣を斬り、孫武の約に背く愛姫を斬るを、世此を以て二子の創意と為す。決して二子の創意に非ざるなり。周官大司馬の法より来たる。曰く、群吏陳前に誓ひを聴き、牲を斬りて以て左右に陳に徇へて曰く、命を用ひざる者は之を斬ると。又曰く、大常を致建し、軍衆を比するに及びて、後れて至る者を誅すと。二子は真に斯の事を行ふのみ。春秋戦国の間の名将は、皆成周の軍制に明らかなり。特に二子のみに非ざるなり。然るに彭越の最も後るる者一人を誅せしは、此れ則ち必ず二子の顰に傚ふ者か。
現代語訳
司馬穰苴が期日に遅れた寵臣を斬り、孫武が約束に背いた寵姫を斬ったことを、世間は二人の独創だとしている。決して二人の独創ではない。『周礼』大司馬の法から来ている。そこには「役人たちは陣の前で誓いを聞き、いけにえを斬って陣の左右に示し、『命令に従わない者はこれを斬る』と言う」とあり、また「大常の旗を立て、軍兵をそろえるにあたって、遅れて来た者を誅する」とある。二人は本当にこのことを行ったにすぎない。春秋戦国の名将はみな周の軍制に通じていた。二人だけではない。しかし彭越が最も遅れて来た一人を誅したのは、きっと二人の真似をしたものであろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『洗心洞箚記』卷下・第二十三條周官大司寇の職、五刑を以て万民を糾す。故に野に惰農無く、軍に怯兵無く、郷に悪人無く、官に貪者無く、国に暴客無し。此れ成周の治まりて強き所以の一端なり。而して漢唐に至りて暴を糾すの刑有りて、其の余の四刑と、上愿の法とは索然として尽く。而して国の富強を欲するも得べからず。何ぞ況んや三代の治をや。
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『洗心洞箚記』卷上・第二十三條程子曰く、関雎麟趾の意有りて、然る後に周官の制度を行ふべしと。此れ特に周官を善く読まざる者の世を愆らんことを恐るるを知るのみにして、未だ其の制度の君徳を修むるを以て本と為すを明らかにせざるに似たり。而して其の説を後世に推せば、則ち猶ほ河の清むを俟つがごとく然り。故に吾を以て之を論ずれば、必ずしも周官の制度に本づき、以て法を立て君を導かずんば、則ち関雎麟趾の徳は、益々成り難し。
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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論語・八佾篇子曰く、『周、二代を監みて、郁郁として文なる哉。吾、周に従う。』
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『弁名』忠信忠とは、人の為に謀り、或いは人の事に代はりて、能く其の中心を尽くし、視ること己の事の若く、懇到詳悉にして至らざる莫きなり。或いは君に事ふるを以て之を言ひ、或いは専ら訟を聴くを以て之を言ふ。訟を聴くも亦た君に事へ官に居るの事なり。然れども五刑の属三千、至つて繁細たり。而して民の詐りを懐き、獄訟の情得難く、彼此怨みを構ふ。苟も能く其の情を体するに非ずんば、則ち其の平を得ず。故に周礼の六徳に、忠は司寇の材為り。左伝に、「小大の獄、察すること能はずと雖も、必ず情を以てす」と、「忠の属なり」と。以て見るべきのみ。子は四を以て教ふ、文・行・忠・信。忠は政事の科為り。政事は君に代はるの事なり。故に忠を以て之に命ず。
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