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洗心洞箚記 / 卷下・第二十條

孔子不悅於魯衞、遭宋桓司馬將要而殺之、微服而過宋、夫孔子之聖、而魯衞不用、桓司馬殺之、實不知其何謂也、然而推尋之人情、則只羣小畏其是非之公焉耳、故乃至此矣、況吾輩學聖人、一任良知、以公是非如狂者、則其人禍殆有不可測者焉、雖然徒怖人禍、終昧是非之心、固丈夫之所恥、而何面目見聖人于地下哉、故我亦從吾志已矣、柔佞狡詐、皆是賊良知之蠹也、加之以學力、則不啻賊己之良知、亦蠹了人人之良知也、

新字:孔子不悦於魯衛、遭宋桓司馬将要而殺之、微服而過宋、夫孔子之聖、而魯衛不用、桓司馬殺之、実不知其何謂也、然而推尋之人情、則只羣小畏其是非之公焉耳、故乃至此矣、況吾輩学聖人、一任良知、以公是非如狂者、則其人禍殆有不可測者焉、雖然徒怖人禍、終昧是非之心、固丈夫之所恥、而何面目見聖人于地下哉、故我亦従吾志已矣、柔佞狡詐、皆是賊良知之蠹也、加之以学力、則不啻賊己之良知、亦蠹了人人之良知也、

書き下し

孔子、魯衛に悦ばれず、宋の桓司馬の将に要へて之を殺さんとするに遭ひ、微服して宋を過ぐ。夫れ孔子の聖にして、魯衛用ゐず、桓司馬之を殺さんとするは、実に其の何の謂なるかを知らざるなり。然り而して之を人情に推尋すれば、則ち只群小其の是非の公なるを畏るるのみ。故に乃ち此に至る。況んや吾輩、聖人を学び、一に良知に任せて、以て是非を公にすること狂者の如くせば、則ち其の人禍殆ど測るべからざる者有らん。然りと雖も、徒に人禍を怖れて、終に是非の心を昧ますは、固より丈夫の恥づる所にして、何の面目ありて聖人に地下に見えんや。故に我も亦吾が志に従はんのみ。柔佞狡詐は、皆是れ良知を賊ふの蠹なり。之に加ふるに学力を以てすれば、則ち啻だに己の良知を賊ふのみならず、亦人人の良知を蠹し了るなり。

現代語訳

孔子は魯や衛で受け入れられず、宋の桓司馬(桓魋)が待ち伏せて殺そうとしたので、身なりを変えて宋を通り過ぎた(『孟子』万章上篇)。孔子ほどの聖人を、魯や衛が用いず、桓司馬が殺そうとしたのは、実にどういうわけかわからない。しかし人情に照らして推しはかれば、ただ小人たちがその是非の判断の公正さを恐れたからにすぎない。だからこのようなことになったのである。まして私たちが聖人を学び、ひたすら良知に任せて、狂者のように是非をはっきりさせれば、その身に及ぶ人の禍はほとんど測り知れないものがあるだろう。それでも、いたずらに人の禍を恐れて、ついに是非を判断する心をくらますのは、もとより男子の恥じるところであり、どんな顔をして地下で聖人にまみえようか。だから私もまた自分の志に従うだけである。物柔らかなへつらいと狡猾ないつわりは、どちらも良知をむしばむ虫である。それに学問の力が加われば、自分の良知をむしばむだけでなく、ほかの人々の良知までむしばんでしまう。

解説

孔子が魯や衛で用いられず宋で命を狙われたのは、小人たちがその是非の公正さを恐れたからだと中斎は読み、良知に任せて是非をはっきりさせれば、自分にも測り知れない禍が及ぶだろうと覚悟を述べる。それでも禍を恐れて是非の心をくらますのは恥であり、自分の志に従うと言い切る言葉には、のちに天保八年の乱に至る中斎の気質がうかがえる。続く短い条は、へつらいといつわりに学問が加わると他人の良知まで損なうと戒める。正しいことを言う代償と、言わないことの恥をどう量るかは、今の組織人にも重い問いである。

この章句が説くこと

良知是非志狂者勇気孔子

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