洗心洞箚記 / 卷下・第十六條
言貌之文而已、則君子不親信、而有情與誠、則雖無言貌之文、必親信之也、況其見於言貌乎、呂新吾先生曰、情不足而文之以言、其言不可親也、誠不足而文之以貌、其貌不足信也、是以天下之事貴眞、眞不容掩、而見之言貌、其可親可信也夫、吁、是言也、知人鑑也、
新字:言貌之文而已、則君子不親信、而有情与誠、則雖無言貌之文、必親信之也、況其見於言貌乎、呂新吾先生曰、情不足而文之以言、其言不可親也、誠不足而文之以貌、其貌不足信也、是以天下之事貴真、真不容掩、而見之言貌、其可親可信也夫、吁、是言也、知人鑑也、
書き下し
言貌の文のみならば、則ち君子は親信せず。而して情と誠と有らば、則ち言貌の文無しと雖も、必ず之を親信するなり。況んや其の言貌に見るるをや。呂新吾先生曰く、情足らずして之を文るに言を以てすれば、其の言親しむべからざるなり。誠足らずして之を文るに貌を以てすれば、其の貌信ずるに足らざるなり。是を以て天下の事は真を貴ぶ。真は掩ふを容れず、而して之を言貌に見れば、其れ親しむべく信ずべきなりと。吁、是の言や、人を知るの鑑なり。
現代語訳
言葉や態度が飾られているだけなら、君子は親しみ信じない。真情と誠があれば、言葉や態度に飾りがなくても、必ず親しみ信じる。まして真情と誠が言葉や態度に表れていればなおさらである。呂新吾先生(呂坤)は言う。「真情が足りないのを言葉で飾れば、その言葉は親しむことができない。誠が足りないのを態度で飾れば、その態度は信じるに足りない。だから天下の事は真を尊ぶ。真は覆い隠せず、それが言葉や態度に表れれば、親しむことができ信じることができる。」ああ、この言葉は人を見分ける鏡である。
解説
呂坤の言葉を引き、人を信じる基準は言葉や態度の飾りではなく、その奥の真情と誠にあると説く条である。真は覆い隠せず、言葉や態度に自然に表れるので、飾りのない言葉でも人は親しみ信じる。中斎はこれを「人を知る鑑」と呼ぶ。誠を学問の根に置く陽明学の人物観である。面接や商談、部下の評価などで、話のうまさや身なりにまどわされず、言葉の奥にある本気を見ようとするとき、この短い条は確かな手がかりになる。
この章句が説くこと
誠真情人物信頼修己呂坤
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