格言聯璧 / 從政類・位無き底の卿相
平日誠以治民,而民信之,則凡有事於民,無不應矣。 平日誠以事天,而天信之,則凡有禱於天,無不應矣。 平民肯種德施惠,便是無位底卿相。
新字:平日誠以治民,而民信之,則凡有事於民,無不応矣。 平日誠以事天,而天信之,則凡有祷於天,無不応矣。 平民肯種徳施恵,便是無位底卿相。
書き下し
平日誠を以て民を治め、而して民之を信ずれば、則ち凡そ事を民に有るに、應ぜざる無し。 平日誠を以て天に事へ、而して天之を信ずれば、則ち凡そ禱ること天に有るに、應ぜざる無し。 平民も肯へて德を種ゑ惠を施さば、便ち是れ位無き底の卿相なり。
現代語訳
ふだんから誠意をもって民を治め、民がそれを信じていれば、民に何か頼むことがあるとき、応じてもらえないことはありません。 ふだんから誠意をもって天に仕え、天がそれを信じていれば、天に祈ることがあるとき、応えられないことはありません。 庶民でも進んで徳を植え恵みを施すなら、それはそのまま位のない大臣です。
解説
前の二行は、民と天を並べた対句です。いざというときに相手が応じてくれるかどうかは、その場の頼み方ではなく、平日の誠によって決まると説きます。信は一日でできるものではなく、日ごろの積み重ねの結果だということです。三行目は次の単位の「士夫徒貪權希寵」と対になる句で、官位がなくても徳を施す人は大臣に等しいと述べます。底は口語の「的」にあたる字です。職場でも、困ったときに助けてもらえる人は、ふだん頼まれごとを誠実に引き受けてきた人でしょう。肩書きがなくても人のために動けば、実質はもう立派な役職者です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
誠信頼治政積徳修身
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