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洗心洞箚記 / 卷下・第八條

毛西河先生詩曰、天門相望楚江秋、采石磯邊舊酒樓、醉裏乘潮牽纜上、不疑江水向東流、觀此詩、當知先生深乎理學也、刀拙乎切木、而鋸巧乎切木、鋸難乎殺人、而刀易乎殺人、故器各有適於用、不適於用、則雖利器猶如鈍、是故聖人器使也、

新字:毛西河先生詩曰、天門相望楚江秋、采石磯辺旧酒楼、酔裏乗潮牽纜上、不疑江水向東流、観此詩、当知先生深乎理学也、刀拙乎切木、而鋸巧乎切木、鋸難乎殺人、而刀易乎殺人、故器各有適於用、不適於用、則雖利器猶如鈍、是故聖人器使也、

書き下し

毛西河先生の詩に曰く、天門相望む楚江の秋、采石磯辺の旧酒楼、酔裏潮に乗じて纜を牽きて上る、疑はず江水の東に向かひて流るるをと。此の詩を観て、当に先生の理学に深きを知るべし。刀は木を切るに拙にして、鋸は木を切るに巧なり。鋸は人を殺すに難くして、刀は人を殺すに易し。故に器には各々用に適すること有り。用に適せざれば、則ち利器と雖も猶ほ鈍の如し。是の故に聖人は器として使ふなり。

現代語訳

毛西河先生(毛奇齢)の詩に「天門山が向かい合う楚の川の秋、采石磯のほとりの古い酒楼。酔いのなかで潮に乗り、綱を引いて川をさかのぼっても、川の水が東へ流れていることを疑わない」とある。この詩を見れば、先生が理学に深かったことを知るべきである。刀は木を切るのが下手で、鋸は木を切るのが上手である。鋸は人を殺すのが難しく、刀は人を殺すのがたやすい。だから道具にはそれぞれ適した用途がある。用途に適さなければ、鋭い道具でも鈍いのと同じである。それゆえ聖人は人をその器に応じて使う(『論語』子路篇)。

解説

二つの短い条を合わせた。前半は毛奇齢の詩を挙げ、酔って潮に乗り川をさかのぼっても、水が東へ流れる本来の理を疑わないところに理学の深さを見る。境遇に流されても根本の道理を見失わない心の比喩として読める。後半は刀と鋸の比喩で、道具には適した用途があり、合わなければ利器も鈍器と同じだとして、聖人は人をその器に応じて使うと説く。人の得意を見極めて配置することは、今のチームづくりの基本そのものである。

この章句が説くこと

理器適材人材理学毛奇齢

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