人物志 / 釋爭
在前者然害之,有功者人毀之,毀敗者人幸之。
書き下し
前に在る者は然れば之を害せられ、功有る者は人之を毀り、毀敗する者は人之を幸とす。
現代語訳
人より先んじている者はそれゆえに害を受け、功績のある者は人から謗られ、失敗して身を滅ぼした者は人から喜ばれてしまう。
解説
人より先んじれば害され、功績を上げれば謗られ、失敗すれば陰で喜ばれるという、人間心理の身も蓋もない一面を劉劭は率直に描き出す。周囲から妬みや反発を受けるのは、必ずしも自分に落ち度があるからではなく、先んじたり成果を上げたりすること自体が招く自然な反応でもある。成果を上げた途端に向けられる冷ややかな視線に戸惑うとき、この一句を思い出せば、それが普遍的な人間心理の一部だと受け止め直しやすくなる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
嫉妬成功への反発人間心理
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『初学訓』巻之五一人と才能を争ふべからず、人と威勢を争ふべからず、人の才あるを妬むべからず。おのれ立たんとして、人をも立つべし、我のみ立たんとすべからず。心けはしく、人を言ひ貶すは、人をそこなひ、物をやぶるなり。不仁と云ひつべし。
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
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史記 白起王翦列伝韓・趙恐れ、蘇代をして幣を厚くして秦の相応侯に説かしめて曰く、「武安君は馬服子を禽にせるか」と。曰く、「然り」と。また曰く、「即ち邯鄲を囲まんとするか」と。曰く、「然り」と。「趙亡びば則ち秦王は王たらん、武安君は三公と為らん。武安君の秦の為に戦ひ勝ち攻め取る所の者は七十余城、南のかた鄢・郢・漢中を定め、北のかた趙括の軍を禽にす。周・召・呂望の功と雖もこれに益さず。今、趙亡びて、秦王王たらば、則ち武安君必ず三公と為らん。君能くこれが下と為らんか。これが下と為るを欲すること無しと雖も、固より已むを得ざらん。秦嘗て韓を攻め、邢丘を囲み、上党を困しむ。上党の民皆反りて趙の為にす。天下の秦の民たるを楽しまざるの日久し。今、趙を亡ぼさば、北地は燕に入り、東地は斉に入り、南地は韓・魏に入らん、則ち君の得る所の民は幾何人も亡し。故に因りてこれを割かしめ、以て武安君の功と為すこと無きに如かず」と。是に於いて応侯、秦王に言ひて曰く、「秦の兵労る、請ふ韓・趙の地を割きて以て和するを許し、且つ士卒を休めん」と。王これを聴き、韓の垣雍・趙の六城を割きて以て和す。正月、皆兵を罷む。武安君これを聞き、是に由りて応侯と隙有り。
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『太上感応篇』悪行・他の栄貴を見て、他の流貶を願ふ他の栄貴なるを見ては、他の流貶せられんことを願ふ。他の富有なるを見ては、他の破散せんことを願ふ。他の色の美しきを見ては、心を起して之を私す。他の貨財を負ひては、他の身の死せんことを願ふ。
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『下学老談抄録』・有徳を妬まず未熟を助ける有德の者を猜むまじく、愚者未熟の輩可介抱、おのれを磨かざるのみならず、善をそねむ事愚中の愚と云べし、周禮にも造言の刑といふを載せつれ、或は人の學問するを靑表紙よみなどゝ、諱名をつけて嘲り、しんきなる學問をすれば毒などゝ、其親よりもいひて學ばせず、志ある人も夫にさゝへられ止まる也、夫學文なく道を辨へぬ人は、面に牆して立るが如く何一つも見えず、かゝる輩は長壽したればとて何の詮もなし、只 君の御用に立べき身なれば、自分の氣まゝにいやなる事はせぬ樣なるわけにてはあるまじ、愚者未熟者を介抱するは則君子の志也、とかく人を善道にすゝめ御用に立べき樣になす心得尤也、能を以て不能をあはれみ、己欲立而立人、皆誠より出る也、又當時珍書などゝ、祕して人にも貸さず、蟫の食となす、小量の人も世に多し、可笑也、是に限らず人の益になるは何事も傳て世に廣め度也、小人の志はとにもかくにも、我爲のみ也、