甲陽軍鑑 / 品第十四
其方長閑子息長坂源五郞信玄公の御意に違ひ候事まづ大かたは四ヶ條なりせがれの利根過ぎたるを信玄公嫌ひ給ふとて、硯箱の上に料紙の有るを紙硯御用の時、上の紙に取そへ筆臺のふた斗持て參り作りばかを致事、落合彥助と土屋平三郞をすゝめ合せ、喧嘩させ侫人いぢむさき事、河中島合戰の時廿人頭小人頭各能付奉る中に、原大隅一入手抦の義を長坂源五郞猜とて、信玄公仰らるゝは、家に久しき侍のことに我心やすくつかふ者共は、諸人我に忠節仕る者をば、日比傍輩中わろく共懇にいたし、我前よく取なしてこそ我を思ふなれ、縱は親の長閑が煩を直したる藥師をば定て馳走仕らん、其ごとく大切に存る主の用に立チ手抦をしたる者の、しかも小者頭にて有に隨分だてをする侍が、我に奉公したる原大隅を憎むは、能々信玄に長坂源郞は表裏有と仰られつる事、其後古籠屋小路勝治殿の半衆と無行儀の事、是申間敷義なれ共、何事に付ても以來のたくらべの爲にかくの分也、
新字:其方長閑子息長坂源五郎信玄公の御意に違ひ候事まづ大かたは四ヶ条なりせがれの利根過ぎたるを信玄公嫌ひ給ふとて、硯箱の上に料紙の有るを紙硯御用の時、上の紙に取そへ筆台のふた斗持て参り作りばかを致事、落合彦助と土屋平三郎をすゝめ合せ、喧嘩させ侫人いぢむさき事、河中島合戦の時廿人頭小人頭各能付奉る中に、原大隅一入手抦の義を長坂源五郎猜とて、信玄公仰らるゝは、家に久しき侍のことに我心やすくつかふ者共は、諸人我に忠節仕る者をば、日比傍輩中わろく共懇にいたし、我前よく取なしてこそ我を思ふなれ、縦は親の長閑が煩を直したる薬師をば定て馳走仕らん、其ごとく大切に存る主の用に立チ手抦をしたる者の、しかも小者頭にて有に随分だてをする侍が、我に奉公したる原大隅を憎むは、能々信玄に長坂源郎は表裏有と仰られつる事、其後古籠屋小路勝治殿の半衆と無行儀の事、是申間敷義なれ共、何事に付ても以来のたくらべの為にかくの分也、
書き下し
其方長閑子息長坂源五郎信玄公の御意に違ひ候事まづ大かたは四ヶ条なりせがれの利根過ぎたるを信玄公嫌ひ給ふとて、硯箱の上に料紙の有るを紙硯御用の時、上の紙に取そへ筆台のふた斗持て参り作りばかを致事、落合彥助と土屋平三郎をすゝめ合せ、喧嘩させ侫人いぢむさき事、河中島合戦の時廿人頭小人頭各能付奉る中に、原大隅一入手抦の義を長坂源五郎猜とて、信玄公仰らるゝは、家に久しき侍のことに我心やすくつかふ者共は、諸人我に忠節仕る者をば、日比傍輩中わろく共懇にいたし、我前よく取なしてこそ我を思ふなれ、縦は親の長閑が煩を直したる薬師をば定て馳走仕らん、其ごとく大切に存る主の用に立チ手抦をしたる者の、しかも小者頭にて有に随分だてをする侍が、我に奉公したる原大隅を憎むは、能々信玄に長坂源郎は表裏有と仰られつる事、其後古籠屋小路勝治殿の半衆と無行儀の事、是申間敷義なれ共、何事に付ても以来のたくらべの為にかくの分也、
現代語訳
そなた長閑の子息、長坂源五郎が信玄公の御意に違ったことは、まずおおかた四か条である。一つ、せがれの利根の過ぎたのを信玄公が嫌われるというので、硯箱の上に料紙があるのに、紙と硯のご用の時、上の紙に添えて筆台の蓋ばかりを持って参り、作り馬鹿をしたこと。一つ、落合彦助と土屋平三郎をけしかけて喧嘩させた、佞人で意地汚いこと。一つ、川中島合戦の時、二十人頭・小人頭がそれぞれよく付き従った中に、原大隅がひとしお手柄を立てたのを長坂源五郎が妬んだので、信玄公が仰せられるには、家に久しい侍で、ことに自分が心安く使う者どもは、自分に忠節をする者を、日頃傍輩中で仲が悪くとも懇ろにし、自分の前でよく取りなしてこそ自分を思うのである。たとえば親の長閑の病を治した薬師を、きっと馳走するであろう。そのように大切に思う主の用に立って手柄をした者で、しかも小者頭であるのに、分を過ぎた振る舞いをする侍が、自分に奉公した原大隅を憎むのは、よくよく信玄に対して長坂源五郎は表裏があると仰せられたこと。その後、古籠屋小路勝治殿の半衆と無行儀のこと。これは申すべきではないことだが、何事につけても以後の引き比べのために、このように記すのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 白起王翦列伝韓・趙恐れ、蘇代をして幣を厚くして秦の相応侯に説かしめて曰く、「武安君は馬服子を禽にせるか」と。曰く、「然り」と。また曰く、「即ち邯鄲を囲まんとするか」と。曰く、「然り」と。「趙亡びば則ち秦王は王たらん、武安君は三公と為らん。武安君の秦の為に戦ひ勝ち攻め取る所の者は七十余城、南のかた鄢・郢・漢中を定め、北のかた趙括の軍を禽にす。周・召・呂望の功と雖もこれに益さず。今、趙亡びて、秦王王たらば、則ち武安君必ず三公と為らん。君能くこれが下と為らんか。これが下と為るを欲すること無しと雖も、固より已むを得ざらん。秦嘗て韓を攻め、邢丘を囲み、上党を困しむ。上党の民皆反りて趙の為にす。天下の秦の民たるを楽しまざるの日久し。今、趙を亡ぼさば、北地は燕に入り、東地は斉に入り、南地は韓・魏に入らん、則ち君の得る所の民は幾何人も亡し。故に因りてこれを割かしめ、以て武安君の功と為すこと無きに如かず」と。是に於いて応侯、秦王に言ひて曰く、「秦の兵労る、請ふ韓・趙の地を割きて以て和するを許し、且つ士卒を休めん」と。王これを聴き、韓の垣雍・趙の六城を割きて以て和す。正月、皆兵を罷む。武安君これを聞き、是に由りて応侯と隙有り。
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尚書・秦誓人の技有るや、己に之有るが若くし、人の彥聖なるや、其の心之を好む。
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
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史記 孫子呉起列伝孫武既に死し、後百余歳して孫臏有り。臏は阿・鄄の間に生まる。臏も亦た孫武の後世の子孫なり。孫臏嘗て龐涓と倶に兵法を学ぶ。龐涓既に魏に事へ、恵王の将軍と為るを得たり。而れども自ら以為らく、能は孫臏に及ばず、と。乃ち陰かに孫臏を召さしむ。臏至り、龐涓、其の己より賢なるを恐れ、之を疾む。則ち法刑を以て其の両足を断ちて之を黥し、隠れて見る勿らんことを欲す。
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史記 老子韓非列伝人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。
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人物志・釋爭前に在る者は然れば之を害せられ、功有る者は人之を毀り、毀敗する者は人之を幸とす。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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