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洗心洞箚記 / 卷下・第七條

胡敬齋先生曰、陳公甫亦窺見些道理、因下面無循序工夫、故遂成空見、此責中材已下之事、而責大賢則不可也、凡大賢一了百了、然苟責之、亦如督課諸生兒輩、是乃後儒所以泥而驅上根之人、以開走於禪門之竇也歟、噫、

新字:胡敬斎先生曰、陳公甫亦窺見些道理、因下面無循序工夫、故遂成空見、此責中材已下之事、而責大賢則不可也、凡大賢一了百了、然苟責之、亦如督課諸生児輩、是乃後儒所以泥而駆上根之人、以開走於禅門之竇也歟、噫、

書き下し

胡敬斎先生曰く、陳公甫も亦些かの道理を窺ひ見るも、下面に循序の工夫無きに因りて、故に遂に空見と成ると。此れ中材已下を責むるの事にして、大賢を責むるは則ち不可なり。凡そ大賢は一了百了す。然るに苟も之を責むれば、亦諸生児輩を督課するが如し。是れ乃ち後儒の泥みて上根の人を駆り、以て禅門に開走するの竇なるか。噫。

現代語訳

胡敬斎先生(胡居仁、明の朱子学者)は「陳公甫(陳献章、号は白沙)も道理をいくらか窺い見たが、下から順を追って積み上げる工夫がなかったので、ついに空虚な見解になった」と言った。これは中くらい以下の素質の者を責めるべき事柄であって、大賢を責めるのはよくない。およそ大賢は一つを悟ればすべてを悟る。それなのに強いて責めるなら、学生や子どもに課業を督促するのと同じである。これこそ後世の儒者が型にこだわってすぐれた素質の人を追い立て、禅門へ走らせる抜け穴となったものではないか。ああ。

解説

朱子学者胡居仁が陳献章を「順序だった工夫がないから空見に陥った」と批判したのに対し、中斎はそれは凡庸な者への戒めであって、大賢には当てはまらないと反論する。一を悟れば百に通じる人に学童と同じ手順を強いれば、かえってそうした人を儒学から禅へ追いやると言う。陽明の先駆とされる陳献章を擁護する条であり、陽明学の簡易直截の立場がうかがえる。一律の手順を全員に課すことが優れた人材を組織から遠ざけることがあるという指摘は、今の人材育成にも当てはまる。

この章句が説くこと

学問工夫陽明学人材育成陳献章

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