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洗心洞箚記 / 卷下・第六條

毛西河先生曰、良知出孟子、原無可疑、特文成提此直從堯舜孔孟之學、與宋學相反處、揭此二字、不特文成得領要、優入聖域、且化苗有驗實、則有功萬世者、西河推尊陽明先生卽如此、而其致良知以誠意之學、私淑之高笠先生、終有了悟焉、於其證文知本等之書可見矣、只其謂與宋學相反之一語、乃過激也、程朱何曾廢良知、學人平心讀其遺書文集、則可見往往說出焉也、只非如陽明先生事事說之耳、然則奚相反之有、故學貴乎平心講之、

新字:毛西河先生曰、良知出孟子、原無可疑、特文成提此直従堯舜孔孟之学、与宋学相反処、掲此二字、不特文成得領要、優入聖域、且化苗有験実、則有功万世者、西河推尊陽明先生即如此、而其致良知以誠意之学、私淑之高笠先生、終有了悟焉、於其証文知本等之書可見矣、只其謂与宋学相反之一語、乃過激也、程朱何曽廃良知、学人平心読其遺書文集、則可見往往説出焉也、只非如陽明先生事事説之耳、然則奚相反之有、故学貴乎平心講之、

書き下し

毛西河先生曰く、良知は孟子に出づ、原より疑ふべき無し。特に文成、此を提げて直ちに堯舜孔孟の学に従ひ、宋学と相反する処に、此の二字を掲ぐ。特だに文成の領要を得て、聖域に優入するのみならず、且つ苗を化して験実有り、則ち功を万世に有する者なりと。西河の陽明先生を推尊すること即ち此の如し。而して其の致良知以誠意の学、之を高笠先生に私淑し、終に了悟有り。其の証文知本等の書に於いて見るべし。只其の宋学と相反すと謂ふの一語は、乃ち過激なり。程朱何ぞ曾て良知を廃せん。学人平心に其の遺書文集を読めば、則ち往往説き出だすを見るべし。只陽明先生の事事之を説くが如きに非ざるのみ。然らば則ち奚の相反すること之れ有らん。故に学は平心に之を講ずるを貴ぶ。

現代語訳

毛西河先生(毛奇齢)は言う。「良知は『孟子』に出ており、もとより疑う余地はない。ただ文成(王陽明)はこれを取り上げ、直接に堯・舜・孔子・孟子の学に従い、宋学と相反するところにこの二字を掲げた。文成は要点をつかんで聖人の域に入っただけでなく、苗族を教化して確かな実績があり、万世に功のある人である。」西河が陽明先生を推し尊ぶのはこのとおりである。そして彼の、良知を致すことを誠意によって行う学は、高笠先生に私淑して得たもので、ついに悟るところがあった。それは彼の『証文』『知本』などの書に見ることができる。ただ「宋学と相反する」という一言は行き過ぎである。程子・朱子がどうして良知を捨てたことがあろうか。学ぶ人が平らかな心でその遺書や文集を読めば、しばしば説いているのが見える。ただ陽明先生のように事ごとに説いてはいないだけである。そうであれば、どこに相反するところがあろうか。だから学問は平らかな心で講じることを尊ぶ。

解説

清の毛奇齢が陽明を推し尊んだ言葉を引きながら、「宋学と相反する」という一点だけは行き過ぎだと退ける条である。中斎は陽明学者でありながら、程子・朱子も良知を説いており、ただ陽明のように事ごとに説かなかっただけだと見る。卷上末の彭定求の引用と同じく、朱子学と陽明学を対立させず、根を同じくするものとして読む立場が一貫している。自分の支持する説を持ち上げるあまり相手を不当に低めないこと、つまり平心に論じることは、どんな議論でも信頼を得る条件である。

この章句が説くこと

良知致良知陽明学朱子学平心毛奇齢

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