洗心洞箚記 / 卷下・第二條
淸孫蘇門黃黎洲李二曲三大儒之學、非獨從姚江來、毛西河施愚山朱竹垞諸老先生、皆亦姚江流派人也、世以其詩文著作之多、爲非致良知之學矣、是皆不研究其書之誤也、故語之以牖子弟之蔀、
新字:清孫蘇門黄黎洲李二曲三大儒之学、非独従姚江来、毛西河施愚山朱竹垞諸老先生、皆亦姚江流派人也、世以其詩文著作之多、為非致良知之学矣、是皆不研究其書之誤也、故語之以牖子弟之蔀、
書き下し
清の孫蘇門・黄黎洲・李二曲三大儒の学は、独り姚江より来たるのみに非ず、毛西河・施愚山・朱竹垞の諸老先生も、皆亦姚江の流派の人なり。世、其の詩文著作の多きを以て、致良知の学に非ずと為す。是れ皆其の書を研究せざるの誤りなり。故に之を語りて以て子弟の蔀を牖く。
現代語訳
清の孫蘇門(孫奇逢)・黄黎洲(黄宗羲)・李二曲の三大儒の学が姚江(王陽明)から来ているだけでなく、毛西河(毛奇齢)・施愚山(施閏章)・朱竹垞(朱彝尊)の諸先生も、みな姚江の流れをくむ人である。世間では彼らの詩文や著作が多いことから、致良知の学ではないと考えている。これはみなその書物をよく研究していないための誤りである。そこでこれを語って、門弟たちの蒙を啓く。
解説
清代の陽明学の広がりを門弟に示す短い条である。孫奇逢・黄宗羲・李顒は言うまでもなく、詩文や考証で知られる毛奇齢・施閏章・朱彝尊も陽明の流れにあると中斎は見る。著作が多く文名が高いと、良知の学とは無縁だと思われがちだが、それは書を読まずに決めつける誤りだという。表面の肩書や作風で人の学問の根を判断せず、実際に書いたものを読んで確かめよという戒めは、人や情報を評価するときの基本として今も通じる。
この章句が説くこと
致良知陽明学学派学問読書毛奇齢
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