洗心洞箚記 / 卷下・第一條
自性善上行道來者、不論高下精粗、堯舜孔孟之血脈也、自情欲上爲惡來者、不論小大深淺、桀紂莽操之苗裔也、外粧點仁義、而衷包藏功利、以道問學、以從事世務者、便是霸者之奴隸也、億兆雖不可勝算、人品要不出乎此三等、吁、欲爲人者、擇不行之、焉得知、而閱史者、亦以之觀當時之人之心術行事、則了了然、
新字:自性善上行道来者、不論高下精粗、堯舜孔孟之血脈也、自情欲上為悪来者、不論小大深浅、桀紂莽操之苗裔也、外粧点仁義、而衷包蔵功利、以道問学、以従事世務者、便是覇者之奴隸也、億兆雖不可勝算、人品要不出乎此三等、吁、欲為人者、択不行之、焉得知、而閲史者、亦以之観当時之人之心術行事、則了了然、
書き下し
性善の上より道を行ひ来たる者は、高下精粗を論ぜず、堯舜孔孟の血脈なり。情欲の上より悪を為し来たる者は、小大深浅を論ぜず、桀紂莽操の苗裔なり。外に仁義を粧点して、衷に功利を包蔵し、道問学を以てし、以て世務に従事する者は、便ち是れ覇者の奴隷なり。億兆勝げて算ふべからずと雖も、人品は要するに此の三等を出でず。吁、人と為らんと欲する者、択びて之を行はずんば、焉んぞ知と得ん。而して史を閲する者も、亦之を以て当時の人の心術行事を観れば、則ち了了然たり。
現代語訳
本性の善から道を行ってきた者は、身分の高低や学の精粗を問わず、堯・舜・孔子・孟子の血筋を引く者である。情欲から悪をなしてきた者は、その大小深浅を問わず、桀・紂・王莽・曹操の末裔である。外では仁義で飾り立て、内には功利を包み隠し、学問をたてにして世の務めに従事する者は、すなわち覇者の奴隷である。人の数は億兆と数えきれないが、人品はつまるところこの三等を出ない。ああ、人となろうとする者は、選んでこれを行わなければ、どうして知者と言えようか(『論語』里仁篇)。また歴史を読む者も、これによって当時の人の心のはたらきと行いを観れば、はっきりとわかる。
解説
この章句が説くこと
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