洗心洞箚記 / 卷上・第百十二條
良知各具備焉、如地中水、無不有、致之之難、如逆水舟、惰則退而不進、荀子覩致之之難、遂謂性惡、孟子見無不有、斷謂性善、夫雖致之之難、然無不有、則本來之性、固善也已矣、故性善之說、對于萬世、確乎其不可易者也、然不致之、則視聽言動皆離道矣、皆離道則果人乎、抑獸乎、若獸也則性果善乎、抑惡乎、吾恐荀說之孚于世也、是故學者不可不立志以致之也、
新字:良知各具備焉、如地中水、無不有、致之之難、如逆水舟、惰則退而不進、荀子睹致之之難、遂謂性悪、孟子見無不有、断謂性善、夫雖致之之難、然無不有、則本来之性、固善也已矣、故性善之説、対于万世、確乎其不可易者也、然不致之、則視聴言動皆離道矣、皆離道則果人乎、抑獣乎、若獣也則性果善乎、抑悪乎、吾恐荀説之孚于世也、是故学者不可不立志以致之也、
書き下し
良知は各々具備す、地中の水の、有らざる無きが如し。之を致すの難きは、逆水の舟の如し、惰れば則ち退きて進まず。荀子は之を致すの難きを覩て、遂に性悪と謂ひ、孟子は有らざる無きを見て、断じて性善と謂ふ。夫れ之を致すの難きと雖も、然れども有らざる無ければ、則ち本来の性は、固より善なるのみ。故に性善の説は、万世に対して、確乎として其れ易ふべからざる者なり。然れども之を致さずんば、則ち視聴言動皆道を離る。皆道を離るれば則ち果して人か、抑も獣か。若し獣ならば則ち性果して善か、抑も悪か。吾荀説の世に孚とせられんことを恐るるなり。是の故に学者は志を立てて以て之を致さざるべからざるなり。
現代語訳
良知は誰にも備わっている。地中の水がどこにでもあるようなものだ。これを致すことの難しさは、流れに逆らう舟のようで、怠ればたちまち後退して進まない。荀子は致すことの難しさを見て、ついに性悪と言い、孟子はどこにでもあることを見て、断固として性善と言った。致すのが難しくても、どこにでもあるのだから、本来の性はもとより善である。だから性善の説は万世に対して確固として変えられない。しかしこれを致さなければ、見ること聴くこと言うこと動くことがすべて道を離れる。すべて道を離れれば、はたして人か、それとも獣か。もし獣なら、性ははたして善か、それとも悪か。私は荀子の説が世に信じられてしまうことを恐れる。だから学ぶ者は志を立ててこれを致さなければならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『洗心洞箚記』卷上・第百五十條水の性は本寒なり。火其の下に在れば、則ち沸沸然として化して湯と為り了る。其の時に当りて、水有りと雖も、寒は絶えて無きなり。人の性は本善なり。物其の外に誘へば、則ち倀倀然として化して悪と為り了る。其の時に当りて、人存すと雖も、善或は無きなり。然れども其の火を去れば、則ち寒復た依然たり。其の物を拒げば、則ち善も亦現在す。如し火を去ること早からざれば、則ち焦枯して水と性と倶に滅す。物を拒ぐこと厳ならざれば、則ち壊乱して人と性と倶に亡ぶ。是れ当然の理なり。吾輩宜しく性を失はざるの工夫を用ふべきのみ。
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荀子・性悪篇孟子曰く、「今(いま)人の性は善なり、將(まさ)に皆(みな)其の性を失喪(しっそう)せんとするが故なり」と。曰く、是(かく)の若(ごと)くんば則ち過(あやま)てり。今人の性、生まれながらにして其の朴(ぼく)を離れ、其の資(し)を離るれば、必ず失いて之を喪(うしな)わん。此れを用て之を観れば、然らば則ち人の性の悪なるは明らかなり。所謂(いわゆる)性善なる者は、其の朴を離れずして之を美とし、其の資を離れずして之を利とするなり。夫の資朴の美に於(お)ける、心意の善に於けるをして、夫の以て見るべきの明の目を離れず、以て聴くべきの聡の耳を離れざるが若くならしめん、故に目明らかにして耳聡しと曰うなり。今人の性、飢えては飽かんことを欲し、寒くしては煖(あたた)かならんことを欲し、労しては休まんことを欲す。此れ人の情性なり。今人、長(ちょう)を見て敢えて先に食らわざる者は、將に讓る所有らんとすればなり。労して敢えて息(いこ)わんことを求めざる者は、將に代わる所有らんとすればなり。夫れ子の父に讓り、弟の兄に讓り、子の父に代わり、弟の兄に代わる、此の二行なる者は、皆(みな)性に反(そむ)きて情に悖(もと)るなり。然り而(しこ)うして孝子の道、礼義の文理なり。故に情性に順えば則ち辞讓せず、辞讓すれば則ち情性に悖る。此れを用て之を観れば、人の性の悪なるは明らかなり、其の善なる者は偽なり。
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『童子問』卷下孟子の意は、本天下の性皆善にして悪無しと謂ふに非ず。気質の中に就いて、其の善を指して之を言ふ。気質を離れて其の理を論ずるに非ず。而して其の所謂善なる者は、四端の心に就いて言ふ。未発の時に斯の理有りと謂ふに非ず。故に曰く、人性の善なるや、猶水の下きに就くがごとしと。夫れ水の下きに就くは、流行の時に在つて見るべし。則ち人性の善も、亦発動の時に就いて之を言ふこと、知るべし。又曰く、人の是の四端有るや、猶其の四体有るがごとしと。言ふこころは、四端の心は人人具足して他に求むることを仮らず、猶四体の其の身に有りて、相離るることを得ざるがごとし。見るべし、孟子の学は本未発・已発の別無くして、四端の心を以て四体の其の身に有るに比す。則ち性善とは、即ち四端の心を以て言ふ、而して本然の理に非ざるなり。下文に又曰く、惻隠の心無きは人に非ざるなり、羞悪の心無きは人に非ざるなり、辞譲の心無きは人に非ざるなり、是非の心無きは人に非ざるなりと。則ち知る、孟子の意、以為へらく凡そ人は必ず耳目四体有りて、而る後に之を人と謂ふ、四端の吾が身に在るや、猶四体の其の身に有るがごとしと。天下の性皆善にして悪無きに非ずや。然り而して、天下の衆、間或は生まれながらにして目無き者有り、或は耳聞こえざる者有り、或は四体具はらざる者有り。其の四端の心有ること無き者も、亦猶此くのごとし。高陽氏の不才子・子越椒・羊舌氏の類のごとき、是れなり。猶人の形有りて、耳目四体無き者のごとし。然れども人にして耳目四体無き者は、億万人中の一二のみ。人にして四端無き者も、亦億万人中の一二のみ。故に天下の性皆善にして悪無しと曰ふ。当に意を以て之を理会すべし。
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『童子問』卷下問ふ、向に教誨を蒙る。孟子性善の説は、気質の中に就いて言ふ、気質を離れて之を言ふに非ずと。然るに諸儒の説、紛紛籍籍として、適従すべからず。冀はくは明弁極論して、以て其の帰趣を発せよ。曰く、孟子の性を説く、古今性を言ふの準則なり。諸儒の紛紛の説有る所以の者は、皆孟子を善く読まざるの過ちなり。荀子は専ら教を主とすることを知りて、以為へらく人教へざれば則ち善ならずと。故に性悪を説く。善く教を受くる者は性の善なるを以てなることを知らず。楊子は両端を疑信して、一に帰すること能はず。故に善悪混ずと把る。韓子は以為へらく孟子は其の上を得、荀・揚は各其の中・下を得と。衆説を調停せんと欲して、目して品題を下す。故に性に三品有りと曰ふ。此れ等は皆俗見のみ。程・張二先生に至つて、又本然・気質の論を立て、以為へらく孔子は気質の性を説き、孟子は本然の性を説くと。而して蘇氏・胡氏は又以為へらく性は本善悪の言ふべき無し、孟子之を善と謂ふは讃歎の辞なりと。此れも亦禅説より来る。凡そ此れ等の説は、皆徒に孟子の本旨を知らざるのみに非ず、実に孟子の文義を理会すること能はざる者なり。怪しむべし怪しむべし。
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『近思録』巻1 道体生之を性と謂ふ。性は即ち気、気は即ち性なり、生之を謂ふなり。人生まれて気稟あり、理として善悪有り。然れども是れ性中に元より此の両物有りて相対して生ずるにあらざるなり。幼より善なる有り、幼より悪なる有り。是れ気稟の然る有るなり。善は固より性なり、然れども悪も亦た之を性と謂はざるべからざるなり。蓋し生之を性と謂ふ。「人生まれて静かなり」、以上は説くを容れず。才かに性を説く時は便ち已に是れ性ならざるなり。凡そ人の性を説くは、只だ是れ「之を継ぐ者は善なり」を説くなり。孟子の性善を言ふは是れなり。夫れ所謂「之を継ぐ者は善なり」とは、猶ほ水の流れて下に就くがごときなり。皆水なり、流れて海に至るまで終に汚す所無き有り。此れ何ぞ人力の為すを煩はさんや。流れて未だ遠からずして固より已に漸く濁る有り。出でて甚だ遠くして方に濁る所有る有り。濁ることの多き者有り、濁ることの少なき者有り。清濁同じからずと雖も、然れども濁れる者を以て水ならずと為すべからざるなり。此の如くなれば則ち人は以て澄治の功を加へざるべからず。故に力を用ふること敏勇なれば則ち疾く清み、力を用ふること緩怠なれば則ち遅く清む。其の清むに及びてや、則ち却って只だ是れ元初の水なり。是れ清を将て来たりて濁に換へ却るにあらず、亦た是れ濁を取り出だし来たりて一隅に置き在くにもあらざるなり。水の清きは、則ち性善の謂なり。故に是れ善と悪と性中に在りて両物と為りて相対し、各自に出で来たるにあらず。此の理は天命なり。順ひて之に循ふは、則ち道なり。此に循ひて之を修め、各其の分を得るは、則ち教なり。天命より以て教に至るまで、我に加損無し。此れ舜天下を有ちて与らざる者なり。天地の物を生ずる気象を観よ。万物の生意最も観るべし、此れ「元は善の長なり」。斯れ仁と謂ふべきなり。満腔子是れ惻隠の心なり。天地万物の理は独なる無く必ず対有り。皆自然にして然り、安排有るに非ざるなり。毎に中夜以て思ふに、手の之を舞ひ、足の之を踏むを知らざるなり。
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『洗心洞箚記』卷下・第五十一條荀子性悪の説、之を情に当つれば、則ち不易の論なり。而して之を性に当つれば、則ち脗合せざるなり。此れ他無し、他只陰陽を看て、未だ太極を見ざるが故なり。陰陽上より做す者は、天下皆是なり。而して太極上より做す者は、惟だ是れ聖賢のみ。而して常人と雖も方寸の虚を看破すれば、則ち彼を出でて此に入る、蓋し亦難からざるか。
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