盲安杖 / 第五条・分限を見分て其性々を知るべき事・前半
分限を見分て其性々を知れ。先よき人の云ふは如何にも心けだかく。自を忘て他の爲を思ひ。情を先として憐み深く。是非分明にして心柔かに。忠孝の行ひ正しく。万人に誠ありて惡き人をも捨ず。高位に在て誇る心なく。へりくだりて慢る心なし。世の常の人は。義理を知りて世に反かず。人の嘲笑を顧て身を愼み愚痴心を戒め。假りにも道を學び賢なるを敬ひ。智あるに親く。忠孝の行に背かず仁義を心にかけ。家職を守りて命を輕んじ。名を万代に遺さん事を本意とす。愚なる人は忠孝を勤むるに似て志定らず。仁義を學びて誠なし。名利を專として一度は恥を知り一度は忘れ。一方へは義理を正し一方へは背き。物を憐む心あれども亦人の憂を顧ず。親き中も背き易く機に從ふを善とし。正くして從ざるを憎み。我才學と顯して人に優らん事を思ひ。理非を知ても分明ならず。好む方へは誘かれ。嫌ふ方へは疎くして和らぐ心すくなく。無欲なれども賤く。頼もしけれども其甲斐なく。淺き心に任せて人の上を謀れども身の節を慥に知ず。分別愚かにして正しからざる故に。濫に心動きて世に背く事多し。下愚の人ハかりそめにも。心柔なる善き人を嘲り賢なるを憎み。賤きに親しくして人の惡きを悅び秀る人をそねみ。利根だてを面ゟして人をは淺く見なし。身の上ゟ自慢して恩をば速に忘れ。少しの仇に長き怨を結び。わづかの事に怒りを成し。夫を却て利口にし。罰をも知らで欲深く。是非をも更に辨へず。
新字:分限を見分て其性々を知れ。先よき人の云ふは如何にも心けだかく。自を忘て他の為を思ひ。情を先として憐み深く。是非分明にして心柔かに。忠孝の行ひ正しく。万人に誠ありて悪き人をも捨ず。高位に在て誇る心なく。へりくだりて慢る心なし。世の常の人は。義理を知りて世に反かず。人の嘲笑を顧て身を慎み愚痴心を戒め。仮りにも道を学び賢なるを敬ひ。智あるに親く。忠孝の行に背かず仁義を心にかけ。家職を守りて命を軽んじ。名を万代に遺さん事を本意とす。愚なる人は忠孝を勤むるに似て志定らず。仁義を学びて誠なし。名利を専として一度は恥を知り一度は忘れ。一方へは義理を正し一方へは背き。物を憐む心あれども亦人の憂を顧ず。親き中も背き易く機に従ふを善とし。正くして従ざるを憎み。我才学と顕して人に優らん事を思ひ。理非を知ても分明ならず。好む方へは誘かれ。嫌ふ方へは疎くして和らぐ心すくなく。無欲なれども賤く。頼もしけれども其甲斐なく。浅き心に任せて人の上を謀れども身の節を慥に知ず。分別愚かにして正しからざる故に。濫に心動きて世に背く事多し。下愚の人ハかりそめにも。心柔なる善き人を嘲り賢なるを憎み。賤きに親しくして人の悪きを悦び秀る人をそねみ。利根だてを面ゟして人をは浅く見なし。身の上ゟ自慢して恩をば速に忘れ。少しの仇に長き怨を結び。わづかの事に怒りを成し。夫を却て利口にし。罰をも知らで欲深く。是非をも更に弁へず。
書き下し
分限を見分て其性々を知れ。先よき人の云ふは如何にも心けだかく。自を忘て他の為を思ひ。情を先として憐み深く。是非分明にして心柔かに。忠孝の行ひ正しく。万人に誠ありて悪き人をも捨ず。高位に在て誇る心なく。へりくだりて慢る心なし。世の常の人は。義理を知りて世に反かず。人の嘲笑を顧て身を慎み愚痴心を戒め。仮りにも道を学び賢なるを敬ひ。智あるに親く。忠孝の行に背かず仁義を心にかけ。家職を守りて命を軽んじ。名を万代に遺さん事を本意とす。愚なる人は忠孝を勤むるに似て志定らず。仁義を学びて誠なし。名利を専として一度は恥を知り一度は忘れ。一方へは義理を正し一方へは背き。物を憐む心あれども亦人の憂を顧ず。親き中も背き易く機に従ふを善とし。正くして従ざるを憎み。我才学と顕して人に優らん事を思ひ。理非を知ても分明ならず。好む方へは誘かれ。嫌ふ方へは疎くして和らぐ心すくなく。無欲なれども賤く。頼もしけれども其甲斐なく。浅き心に任せて人の上を謀れども身の節を慥に知ず。分別愚かにして正しからざる故に。濫に心動きて世に背く事多し。下愚の人ハかりそめにも。心柔なる善き人を嘲り賢なるを憎み。賤きに親しくして人の悪きを悦び秀る人をそねみ。利根だてを面よりして人をは浅く見なし。身の上より自慢して恩をば速に忘れ。少しの仇に長き怨を結び。わづかの事に怒りを成し。夫を却て利口にし。罰をも知らで欲深く。是非をも更に弁へず。
現代語訳
人それぞれの分限を見分けて、その性質の違いを知りなさい。まず、すぐれた人というのは、心が気高く、自分を忘れて他人のためを思い、情けを先にして憐れみ深く、物事の是非がはっきりしていて心が柔らかく、忠孝の行いが正しく、すべての人に誠意をもって接し、悪い人でも見捨てません。高い地位にあっても誇る心がなく、へりくだって人を見下しません。世の常の人は、義理を知って世に背かず、人の嘲笑を気にして身をつつしみ、愚かな心を戒め、かりそめにも道を学び、賢い人を敬い、知恵ある人に親しみ、忠孝の行いに背かず、仁義を心にかけ、家職を守って命を惜しまず、名を万代に残すことを本意とします。愚かな人は、忠孝を勤めているようでも志が定まらず、仁義を学んでも誠がありません。名利をひたすら追い、一度は恥を知っても一度は忘れ、一方では義理を正しながら一方では背き、物を憐れむ心はあっても人の憂いは顧みません。親しい間柄でも背きやすく、その場の成り行きに従うのをよしとし、正しくて従わない者を憎み、自分の才や学を見せつけて人にまさろうと思い、理非を知っていても分明ではありません。好む方へは誘われ、嫌う方へは疎くて、和らぐ心が少なく、無欲ではあっても卑しく、頼もしそうでも甲斐がなく、浅い心にまかせて人の身の上をあれこれ謀りながら、自分の身の節度は確かに知りません。分別が愚かで正しくないために、むやみに心が動いて世に背くことが多いのです。最も愚かな人は、かりそめにも心の柔らかい善人を嘲り、賢い人を憎み、卑しい者に親しんで人の悪事を喜び、すぐれた人をねたみ、利発ぶりを顔に出して人を浅く見なし、わが身の上を自慢して恩はすぐに忘れ、少しのあだに長い恨みを結び、わずかなことに怒り、それをかえって利口なことと思い、罰があることも知らずに欲深く、是非をまったくわきまえません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中僧問ふ、智者は下劣なりと雖も青天に登り、愚者は高位なりと雖も泥犁に沈む。此の意如何。師云はく、智者とは、無我無人と成て、一切を離れた人也。此の人は、国王にも何にも望があつてこそ、此の機は青天の上に登つた機也。愚者は高位に在りても、物毎に逢着して、物の下と成り沈み果て居る者也。
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『呻吟語』外篇・人情・愚者を以て智者の忽せにする所に當たる乍ちに見るの患ひは、愚者の驚く所なり。漸く至るの殃ひは、智者の忽せにする所なり。愚者を以て智者の忽せにする所に當たるは、畏る可きかな。
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『韓非子』孤憤第十一是れ當塗者の徒屬、愚にして患を知らざる者に非ずんば、必ず污にして姦を避けざる者なり。
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『法句経』第二十 道の部 二八六〜二八八 眠れる村を漂わす暴流二八六 秋には我れ此処に住まるべし、冬に亦夏には此処に(住まるべし)、斯く愚者は思惟して死(の到る)を覚らず。 二八七 子孫と家畜に狂酔し執著する人を死は捕へ去る、暴流が眠れる村を(漂はす)如く。 二八八 子も救ふ能はず、父も亦友も親戚も救ひ得じ、死に捕はれたるものを。
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盲安杖・第五条・分限を見分て其性々を知るべき事・後半物云ふ度に非を顕はし。情を知らぬを見目として人を過ち身を害なひ。科なき人に怨みを成し。異見をすれは腹を立て。面に賢と顕はして人の為と思はず。惣じて其性々一様に非ず。箇様の見分け叶はずして。下々の人をも上々の人に競て批判し。或は人の僻事に我が心を乱して惑ふ。是皆な分限を見分けざる故なり。譬へは碁将棋の上手下手其位定りたり。人々の分別も何ぞ是に異らんや。人の僻事を憎まんならば。碁将棋の下手悪き手遣するを僻事なりと憎まんや。是を以て知るべし。何れの人も行ひ悪くせんとは有らねども。心たらずして我が身をも亡すなり。譬へは貧き人の過分のふるまひ適はざるが如し。されは己の分限より上の働らき成るべからず。兎角心の至らざる故と心得て。結句憐む心あるべし。己れ温なる時は浮世に悪き人なし。己れ僻事ある時は悪き人世に多し。歌に我がよきに人のわるきか有らばこそ人のわるきは我がわるきなり。此歌心の鏡なるべし。斯く云ふとて科を免せとには非ず。慈悲を以て法を正し科を改めよとなり。畜類の上にも見よ馬は馬牛は牛。鳥は鳥夫々の働きあり。非情草木も亦同じ麻はおのづから直く。蓬はおのづから出れり。薬とある草もあり毒となる草もあり。是何れの所より分れたるにか。天地の恵みは変らねども。夫々の差別有り。何れを是とし何れを非とか成さん。誠に万物一体なる事を知べし。歌に春雨のわきてそれとはふらねども受くる草木はおのが色々柳は緑り花は紅る
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盲安杖・第二条・己を顧て己を知るべき事・前半己を顧て己を知れ。仮令学文広くして如何ほど物を知りたりとも。己を知らずは物知りたるに非ず。されば己を知らずして余所を知ることあるべからず。己を更に知らざる人は。愚ある己が心を本として。他を譏り心に適ふを嘉し。温にして従はざるを嗔り。万事に憤り深く。みづから己を苦めて心を悩すことは。偏に己が僻事ある故あり。万人我に適はざるを知らば。我も亦万人の心に適ふまじと知れ。我に僻事なき人は万人を捨ず。万人を捨ざれば万人も亦此人を嫌はず。其故如何と云ふに。誠の人は心温にして正しく。万事に誠ありて情深き故あり。己を知て僻事なきを徳ある人とす。己僻事なる時は苦み絶はず。されば僻事は己が仇なることを慥に知て。二六時中をこたる事なく。顧て慎むべし。世に人多しと雖。己を知る人稀なるべし。人々身の上を知りたりとは思へども。必ず死ずる身を持て。死有ることを忘れて万年の思をなす故に。年月を惜む人なし。然る間だ貪嗔邪偽の心を事として。忠孝の道に反き。仁義を弁へずして諂誑諂曲の心を用ひ。家職を余所にして無益の事を好み。身の僻事を知らずして。他人の是非を説き。我執強くして人を憐む心なく。好む方に貪着し嫌ふ方に疎く。一度は悦び一度は憂ひ。分別みだりにして物に逆ひ。偶道を聞ては人を謀る定規となし。身の上を忘れては。余所を謀るもいかで当らんや。
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