洗心洞箚記 / 卷上・第百八十條
鹿忠節端方謹愨、有必爲聖賢之志、而與孫蘇門爲友、定交楊忠愍祠下、皆慨然有殺身之志、萬曆癸丑進士、遼左缺餉、請帑、疏皆不行、會廣東解金花銀至、忠節與司農議、劄納大倉、轉發遼左、而後上聞、上怒、降級、調外任、忠節移疾去、金花銀者、國初以備各道之緩急、俱解大倉、其後改解內府、宮中視爲私錢、故帝怒也、
新字:鹿忠節端方謹愨、有必為聖賢之志、而与孫蘇門為友、定交楊忠愍祠下、皆慨然有殺身之志、万暦癸丑進士、遼左欠餉、請帑、疏皆不行、会広東解金花銀至、忠節与司農議、劄納大倉、転発遼左、而後上聞、上怒、降級、調外任、忠節移疾去、金花銀者、国初以備各道之緩急、倶解大倉、其後改解内府、宮中視為私銭、故帝怒也、
書き下し
鹿忠節は端方謹愨にして、必ず聖賢と為らんとするの志有り。而して孫蘇門と友と為り、交はりを楊忠愍の祠下に定め、皆慨然として身を殺すの志有り。万暦癸丑の進士なり。遼左餉を欠き、帑を請ふも、疏皆行はれず。会々広東、金花銀を解して至る。忠節、司農と議し、劄して大倉に納め、転じて遼左に発し、而る後に上聞す。上怒り、級を降して外任に調す。忠節、疾と移して去る。金花銀とは、国初、以て各道の緩急に備へ、倶に大倉に解す。其の後改めて内府に解し、宮中視て私銭と為す。故に帝怒るなり。
現代語訳
鹿忠節は品行が正しく慎み深く誠実で、必ず聖賢になろうという志を持っていた。孫蘇門(孫奇逢)と友となり、楊忠愍(楊継盛)の祠の前で交わりを結び、ともに身を捨てても義を貫こうという志に燃えていた。万暦癸丑(1613)の進士である。遼東の軍の兵糧が不足し、国庫の金を求めたが、上奏はどれも聞き入れられなかった。ちょうど広東から金花銀が送られてきた。忠節は司農(戸部の長官)と相談し、文書を出してそれを太倉(国庫)に納めさせ、遼東へ回送し、そのあとで帝に報告した。帝は怒り、位を下げて地方官に移した。忠節は病気を理由に職を去った。金花銀とは、明の初めには各地の急な必要に備えるもので、みな太倉に納められていた。その後、宮中の内府に納めるように改められ、宮中ではそれを私的な金とみなしていた。だから帝が怒ったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下四月日、示して曰く、浮沈の機の位、又志真実義のこと、皆能く心得たりや。我は頓てなくなる間、各此の道理を能く心得置くべし。先つ法にすくか志也。真実と云ふは、腹立つたる時の機の位也。義は宜きに随ふと云つて、能く成るが義也。性の明くなるが義也。此の前随分志真実ある長老ありけるが、いかにしても義なく、暗ふして用に立たす。又生付て義の有る性の人も有れども、志真実なければ用に立たす。兎角此の三つの調はずして、修行成就すべからす。然る間志を進め、真実を発し義を正しく守るべし。此の三つ融通して勇猛精進と成る。切に急に一大事因縁の心と成る也。古人切に急にと進めたるも、先づ勇猛心也。勇猛精進の心起らすして、切なる心、急なる心知るべからずと也。
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『驢鞍橋』卷中又先づ志は、菩提を催す本、真実は菩提の決定、義は煩悩を截る剣也。此の三にて金輪の三足の如し。一つ欠ても、道成就すへからずと云ふも、古来より沙汰したる人も聞かねども、我心にあるに仍て書く也。此の三が急度相応して、勇猛精進と成り、切に急に進んて打成一片と成らすんは、道は成せぬ也。扨て又暁の三時は、一入進む時節也と云ふも、我胸、暁毎に一入大事起る故に書く也。
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『呻吟語』内篇・應務・只だ是れ志無し義の當に為すべき所、力の能く為す所、心為す有らんと欲するも、親友挽き回し得、妻拏勸め止め得るは、只だ是れ志無きなり。
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『近思録』巻7 出処問ふ、家貧しく親老い、挙に応じ仕を求むるに、得失の累有るを免れず。何を修めてか以て此を免るべき。伊川先生曰く、此れ只是れ志気に勝たざるなり。若し志勝たば、自ら此の累無し。家貧しく親老いたれば、須らく禄仕を用ふべし。然れども「之を得ると得ざるとは命有りと為す」。曰く、己に在りては固より可なり。親の為には奈何せん。曰く、己の為と親の為と、也只是れ一事なり。若し得ざれば、其れ命を如何せん。孔子曰く、「命を知らざれば、以て君子為ること無し。」人苟も命を知らざれば、患難を見れば必ず避け、得喪に遇へば必ず動き、利を見れば必ず趨る、其れ何を以てか君子為らんや。或ひと謂ふ、科挙の事業は、人の功を奪ふと、是れ然らず。且つ一月の中、十日を挙業と為さば、余日は学を為すに足るべし。然れども人此に志さざれば、必ず彼に志す。故に科挙の事、功を妨ぐるを患へず、惟だ志を奪ふを患ふ。横渠先生曰く、世禄の栄は、王者の功有るを録し、徳有るを尊ぶ所以なり。之を愛し之を厚くし、恩遇の窮まらざるを示すなり。人の後為る者は、宜しく職を楽しみ功を勧め、以て勤事の任に服すべき所なり。廉を長じ利を遠ざけ、以て世風を似述すべし。而るに近代の公卿の子孫、方に且つ下りて布衣に比し、声病を工にし、有司に售る。仕を求むるの義に非ざるを知らずして、反つて理に循ふを羞ぢて無能と為す。蔭襲の栄たるを知らずして、反つて虚名を以て善く継ぐと為す。誠に何の心ぞや。其の力を資らずして其の有を利せざれば、則ち能く人の勢を忘る。人多く貧賤に安んずと言ふ、其の実は只是れ計窮まり力屈し、才短くして営画すること能はざるのみ。若し稍動き得ば、恐らくは未だ肯へて之に安んぜず。須らく是れ誠に義理の利欲より楽しきを知りて、乃ち能くすべし。天下の事の大患は只是れ人の非笑を畏るるなり。車馬を養はず、麄を食ひ悪を衣、貧賤に居る、皆人の非笑を恐る。当に生くべくんば則ち生き、当に死すべくんば則ち死し、今日万鍾、明日之を棄て、今日富貴、明日饑餓するを知らず。亦䘏へず。「惟だ義の在る所のみ。」
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『童子問』卷中問ふ、毀誉の来たる、喜厭の心無きこと能はず。如何にして可ならん。曰く、毀誉は士の常なり。奚ぞ以て憂喜と為すに足らん。孟子曰く、士茲の多口を増すと。趙氏曰く、士為る者は、益々多く衆口の訕る所と為ると。常人の若きは、固より軽重するに足らず。士為る者は、必ず志有り義有り。其の稍々高き者は、又或いは識見有り、特立独行して、時輩に随ひて馳逐せず。是れ訕謗を来たす所以なり。其の道愈々大なれば、之を譏る者愈々衆く、其の徳愈々邵ければ、之を寇する者愈々深し。憂心悄悄として、群小に慍まる。孔子すら猶ほ然り。況んや其の他をや。韓文公・程伊川・朱晦翁・王新建の当時に在るや、擯排斥逐、余力を遺さず。然り而して後世に至りて、其の美名芳躅、弥々遠くして弥々彰らかに、日月と光を争ふに至る。公論の天下に在る、掩ふべからざること此の如し。唯だ明主のみ能く之を察して、暗主は衆言に眩まざること能はず。関張の譏りの孔明に行はれずして、孔文仲の誣の元祐に行はれし所以なり。孟子曰く、不虞の誉れ有り、求全の毀り有りと。説く者曰く、己を修むる者は、是を以て遽かに憂喜を為すべからず。人を観る者は、是を以て軽々しく進退を為すべからずと。士若し誉れを聞きて喜び、毀りを聞きて厭へば、則ち必ず時に狥ひ世に阿り、節を改め操を移すに至る。自ら戒めざるべからず。
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『講孟余話』盡心上 第九章凡そ士たる者、何程困窮すると云へども、遂に士の覚悟は失はず、又顕達すると云へども、富貴に淫して平生の志を亡失することなく、治を致し民を沢し民の素望に協ふなり。余当今を歴観するに、達して道を離れざる者少なし。貧賤の際・少壮の日、書を挟み経を講ずる時の議論と、廟堂に登り政事に従ふの功業と、大抵は相当らず。然れども是れ必ず已むを得ざるの由もあるべければ、吾必ずしも論ぜず。但し窮して義を失はざるに至りては、切に吾が身上の事なり、励まざるべけんや。吾甲寅以来、身を関するに木を以てし、体を縛するに索を以てす。檻輿三百里を走り、狴犴六百日を渉る。今日禁錮稍紓ぶと云へども、足門径を出でず、親近の外敢へて他人に接せず、亦窮と云ふべし。然れども其の志に至りては、松本一邑に一二の奇傑を生じ、以て忠孝の首め天下の唱へとならんことを欲す。果して義を失はざるか、亦失ふこと多きか、自ら信ずること能はず。故に孟子を把りて玩索して其の当否を質さんと欲す。
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