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洗心洞箚記 / 卷上・第百八十條

南野先生甫冠舉鄉試、之贛州從陽明子、嘉靖二年、策問陰詆陽明子、南野與魏良弼等直發師訓、無所阿意、登第、歷官爲禮部尙書、時儲位久虛、帝惑邪臣之說、諱建儲、南野懇請、且南野遇事侃侃、或當利害、衆相顧色戰、南野意氣自如、而器宇溫粹、學務實踐、大闡明陽明子良知之宗旨矣、

新字:南野先生甫冠舉郷試、之贛州従陽明子、嘉靖二年、策問陰詆陽明子、南野与魏良弼等直発師訓、無所阿意、登第、歴官為礼部尚書、時儲位久虚、帝惑邪臣之説、諱建儲、南野懇請、且南野遇事侃侃、或当利害、衆相顧色戦、南野意気自如、而器宇温粋、学務実践、大闡明陽明子良知之宗旨矣、

書き下し

南野先生は甫めて冠して郷試に挙げられ、贛州に之きて陽明子に従ふ。嘉靖二年、策問、陰に陽明子を詆る。南野、魏良弼等と直ちに師訓を発し、阿意する所無し。第に登り、官を歴て礼部尚書と為る。時に儲位久しく虚しく、帝、邪臣の説に惑ひて、建儲を諱む。南野懇請す。且つ南野、事に遇ひて侃侃たり。或いは利害に当たりて、衆相顧みて色戦くも、南野は意気自如たり。而して器宇温粋、学は実践を務め、大いに陽明子良知の宗旨を闡明す。

現代語訳

南野先生(欧陽徳)は二十歳になったばかりで郷試に合格し、贛州へ行って陽明子に師事した。嘉靖二年(1523)、会試の策問がひそかに陽明子をそしる内容だったが、南野は魏良弼らとともに、師の教えをそのまま述べて、出題者の意に迎合しなかった。進士に及第し、官職を歴任して礼部尚書となった。当時、皇太子の位が長く空いており、帝は邪な臣下の説に惑わされて、太子を立てることを避けていた。南野は熱心に立太子を願い出た。また南野は事にあたって剛直で、利害のかかる場面で人々が顔を見合わせて青ざめても、南野は意気自若としていた。しかも人柄は温和で純粋、学問は実践に努め、陽明子の良知の宗旨を大いに明らかにした。

解説

陽明門下の欧陽徳の略伝である。試験の問いが師をそしるものでも迎合せず、高官となってからも帝の意に反して立太子を求め、人々が利害に青ざめる場面でも平然としていた。一方で人柄は温和で、学問は実践を旨としたという。剛直と温和を併せ持つ姿は、中斎が良知を致す人の典型として示したものである。結果を恐れずに是非を言い、しかも人当たりは穏やかであることは、組織で信頼を得る人の条件として今も変わらない。

この章句が説くこと

良知陽明学実践剛直誠欧陽徳

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