法句経 / 第六 賢哲の部 八六〜八八 黒法を離れ白を修す
八六 正しく説かれたる法あるとき其法を遵行する人のみ彼岸に到る、死の境域は越ゆること甚だ難し。 八七 智者は黑法を離れて白(法)を修すべし、在家より非家に趣き、悦び難き孤獨を 八八 樂ふべし、智者は諸の欲を去り、一物をも所有せず、己を淨めて諸の煩惱を除くべし。
新字:八六 正しく説かれたる法あるとき其法を遵行する人のみ彼岸に到る、死の境域は越ゆること甚だ難し。 八七 智者は黒法を離れて白(法)を修すべし、在家より非家に趣き、悦び難き孤独を 八八 楽ふべし、智者は諸の欲を去り、一物をも所有せず、己を浄めて諸の煩悩を除くべし。
書き下し
八六 正しく説かれたる法あるとき其法を遵行する人のみ彼岸に到る、死の境域は越ゆること甚だ難し。 八七 智者は黒法を離れて白(法)を修すべし、在家より非家に趣き、悦び難き孤独を 八八 楽ふべし、智者は諸の欲を去り、一物をも所有せず、己を浄めて諸の煩悩を除くべし。
現代語訳
正しく説かれた教え(法)があるとき、その教えに従って行う人だけが彼岸に到る。死の領域(輪廻の世界)は越えることがきわめて難しい。智者は黒い法(悪)を離れて白い法(善)を修めるべきである。家に住む暮らしから家のない出家の暮らしへと向かい、喜びを見いだしにくい孤独を楽しむべきである。智者はもろもろの欲を捨て、何一つ所有せず、自分を清めて、もろもろの煩悩(心を乱し悩ませる働き)を取り除くべきである。
解説
前の章句の「彼岸」を受けて、どうすれば渡れるかを述べる三偈である。八六偈の力点は「遵行する人のみ」にある。正しい教えがあるだけでは足りず、それに従って歩む者だけが渡る。死の境域、すなわち輪廻の郷は越えがたいという。八七偈は悪と善を黒と白で言い分ける。荻原の注の通り、古代インドでは行為の善悪を黒白の色で表した。続いて在家から非家、つまり出家へ向かい、「悦び難き孤独」を楽しめと説く。孤独はもともと喜びにくいものだと認めたうえで、それを楽しめというところに、この偈の正直さがある。八八偈は一物も持たず己を清めることで章を締めくくる。出家の勧めは古代の修行者に向けた言葉だが、知っていることと行うことの隔たり、群れを離れて一人で考える時間の価値は、判断を担う立場の人にもそのまま響く。
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