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洗心洞箚記 / 卷上・第百八十條

念菴先生幼慕羅倫爲人、年十五讀陽明子傳習錄好之、師事同邑李中、傳其學、嘉靖八年、舉進士第一、外舅喜曰、吾壻成大名、念菴曰、儒者事業有大於此者、此三年一人、安足喜也、事親孝、父喪苫塊蔬食、不入室者三年繼遭母憂亦如之、起復言事、帝怒、念菴歸、益求陽明子學、甘淡泊、鍊寒暑、自天文地志禮樂典章河渠邊塞戰陳攻守、下逮陰陽筭數、靡不精究、至人才吏事國計民情、悉加意諮訪、曰苟當其任、皆吾事也、流寇入吉安、主者失措、爲畫策戰守、寇引去、

新字:念菴先生幼慕羅倫為人、年十五読陽明子伝習録好之、師事同邑李中、伝其学、嘉靖八年、舉進士第一、外舅喜曰、吾壻成大名、念菴曰、儒者事業有大於此者、此三年一人、安足喜也、事親孝、父喪苫塊蔬食、不入室者三年継遭母憂亦如之、起復言事、帝怒、念菴帰、益求陽明子学、甘淡泊、錬寒暑、自天文地志礼楽典章河渠辺塞戦陳攻守、下逮陰陽筭数、靡不精究、至人才吏事国計民情、悉加意諮訪、曰苟当其任、皆吾事也、流寇入吉安、主者失措、為画策戦守、寇引去、

書き下し

念菴先生は幼くして羅倫の人と為りを慕ひ、年十五にして陽明子の伝習録を読みて之を好み、同邑の李中に師事して、其の学を伝ふ。嘉靖八年、進士第一に挙げらる。外舅喜びて曰く、吾が壻大名を成せりと。念菴曰く、儒者の事業は此れより大なる者有り。此れ三年に一人、安んぞ喜ぶに足らんやと。親に事へて孝、父の喪に苫塊蔬食し、室に入らざる者三年、継いで母の憂に遭ひて亦之の如し。起復して事を言ひ、帝怒りて、念菴帰る。益々陽明子の学を求め、淡泊に甘んじ、寒暑に鍊し、天文・地志・礼楽・典章・河渠・辺塞・戦陳・攻守より、下は陰陽・算数に逮ぶまで、精究せざる靡し。人才・吏事・国計・民情に至るまで、悉く意を加へて諮訪し、曰く、苟くも其の任に当たらば、皆吾が事なりと。流寇吉安に入り、主者措を失ふ。為に戦守を画策し、寇引き去る。

現代語訳

念菴先生(羅洪先)は幼いころから羅倫(明の儒者)の人柄を慕い、十五歳で陽明子の『伝習録』を読んで好み、同じ町の李中に師事してその学を受け継いだ。嘉靖八年(1529)、進士の首席に合格した。妻の父が喜んで「わが婿が大きな名を成した」と言うと、念菴は「儒者の事業にはこれより大きなものがあります。これは三年に一人出るだけのもの、喜ぶに足りません」と言った。親によく孝行し、父の喪には苫を敷き土塊を枕にして野菜だけを食べ、三年間部屋に入らなかった。続いて母を亡くしたときも同じようにした。喪が明けて復職し、政事について意見を述べると帝が怒ったので、念菴は郷里に帰った。いっそう陽明子の学を求め、淡泊な暮らしに甘んじ、寒暑に身を鍛え、天文・地理・礼楽・制度・河川や運河・辺境の守り・陣立て・攻守から、下は陰陽や算術に至るまで、精しく究めないものはなかった。人材・行政実務・国家財政・民の実情に至るまで、すべて心を配って人に尋ね、「もしその任に当たれば、みな自分のなすべきことだ」と言った。流賊が吉安に侵入し、責任者がなすすべを失ったとき、彼のために戦い守る策を立て、賊は退いた。

解説

陽明に私淑した羅洪先の略伝の前半である。首席合格を「三年に一人にすぎない」と言い、儒者の事業はそれより大きいとした。郷里に退いてからは天文・地理から兵法・算術、行政や民情まで学び、「その任に当たれば皆わが事」と言って、実際に流賊の侵入を退ける策を立てた。陽明学が内面の工夫だけでなく経世の実務を伴うことを、中斎はこの人物で示している。肩書より役に立つ力を磨き、いざという時に引き受ける覚悟は、今の専門職にも求められる姿勢である。

この章句が説くこと

陽明学経世学問実学孝羅洪先

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