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洗心洞箚記 / 卷上・第百七十九條

當平生至安之時、不可無危難之念、而當倉卒危難之時、不可無至安之樂也、彭南畇先生曰、當湖陸侍御以淸德名儒、著書講學、天下宗之、余讀三魚堂文集、見其所講專以排擊王文成公爲事、意在尊朱也、尊朱是矣、排擊文成則甚矣、旣闢其學術、復議其功業、且坐以敗壞風俗、致明季之喪亂、吁、又甚矣、余不覺恫心駭目、旣深爲文成痛、而轉爲侍御惜焉、文成入手工夫、與朱子有毫釐之別、故其訓格物也、實與朱子牴牾、至其所歸、同傳孔曾思孟微言、同究濂洛淵源、文成揭出良知宗旨、警切著明、於朱子居敬窮理之學、未嘗不可互相唱提也、

新字:当平生至安之時、不可無危難之念、而当倉卒危難之時、不可無至安之楽也、彭南畇先生曰、当湖陸侍御以清徳名儒、著書講学、天下宗之、余読三魚堂文集、見其所講専以排撃王文成公為事、意在尊朱也、尊朱是矣、排撃文成則甚矣、既闢其学術、復議其功業、且坐以敗壊風俗、致明季之喪乱、吁、又甚矣、余不覚恫心駭目、既深為文成痛、而転為侍御惜焉、文成入手工夫、与朱子有毫釐之別、故其訓格物也、実与朱子牴牾、至其所帰、同伝孔曽思孟微言、同究濂洛淵源、文成掲出良知宗旨、警切著明、於朱子居敬窮理之学、未嘗不可互相唱提也、

書き下し

平生至安の時に当たりては、危難の念無かるべからず。而して倉卒危難の時に当たりては、至安の楽しみ無かるべからざるなり。彭南畇先生曰く、当湖の陸侍御は清徳の名儒を以て、書を著し学を講じ、天下之を宗とす。余、三魚堂文集を読むに、其の講ずる所、専ら王文成公を排撃するを以て事と為すを見る。意は朱を尊ぶに在るなり。朱を尊ぶは是なり。文成を排撃するは則ち甚だし。既に其の学術を闢け、復た其の功業を議し、且つ坐するに風俗を敗壊し、明季の喪乱を致すを以てす。吁、又甚だし。余覚えず心を恫め目を駭かし、既に深く文成の為に痛み、而して転じて侍御の為に惜しむ。文成の入手の工夫は、朱子と毫釐の別有り。故に其の格物を訓ずるや、実に朱子と牴牾す。其の帰する所に至りては、同じく孔曾思孟の微言を伝へ、同じく濂洛の淵源を究む。文成、良知の宗旨を掲げ出だし、警切著明にして、朱子の居敬窮理の学に於いて、未だ嘗て互ひに唱提すべからずんばあらざるなり。

現代語訳

平穏無事このうえない時にこそ、危難への備えの念を忘れてはならない。そしてあわただしい危難のさなかにこそ、このうえない安らぎの楽しみを失ってはならない。彭南畇先生(彭定求、清の学者)はこう言う。「当湖の陸侍御(陸隴其、号は稼書)は清廉な徳をそなえた名儒として、書物を著し学問を講じ、天下の人々が彼を宗師と仰いだ。私は彼の『三魚堂文集』を読んで、その講じるところがもっぱら王文成公(王陽明)を排撃することを仕事にしているのを見た。その意図は朱子を尊ぶことにある。朱子を尊ぶのは正しい。だが文成を排撃するのは度が過ぎている。その学術を退けたうえ、さらにその功業まで論難し、しかも風俗を乱して明末の滅亡と混乱を招いた罪を着せている。ああ、これはまたひどすぎる。私は思わず心が痛み目を見張って、文成のために深く心を痛めるとともに、かえって侍御のために惜しんだ。文成の学問の入り口の工夫は、朱子とわずかな違いがある。だから格物の解釈では、たしかに朱子と食い違う。しかし行き着くところは、ともに孔子・曾子・子思・孟子の奥深い言葉を伝え、ともに濂渓(周敦頤)・洛陽(程顥・程頤)の学の源流を究めるものである。文成は良知という根本の趣旨を掲げ、それは鋭く切実で明白であり、朱子の居敬窮理の学と互いに唱和し補い合えないものでは決してない。」

解説

前半は卷上第百七十九条の短い一条で、安らかな時に危難を思い、危難の時に安らぎを保てという心得である。後半は卷上最後の長い条の書き出しで、清の彭定求が、朱子学者陸隴其の陽明排撃を批判した文を引く。中斎は陽明学者でありながら朱子を退けず、両者は入口が違うだけで帰着は同じだと見る立場を、ここで彭定求の言葉に借りている。平時の備えと非常時の落ち着きは組織の危機管理にそのまま通じ、立場の異なる相手を全否定しない姿勢は議論の作法として今も生きる。

この章句が説くこと

良知陽明学危機居敬修己彭定求

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