洗心洞箚記 / 卷上・第百七十八條
夫徑言鹿者、雖固非默者之比、然特發一時慷慨之意氣耳、何有平生愼獨不欺心如聖人之眞修實功也哉、然則非浩然之氣、正大之心也、非浩然之氣、正大之心、而辱人猶受禍、況挫宰臣之言乎、宜哉忠言發、而陰禍臻焉、故誠欲盡孝悌忠義於倉卒顛沛之間者、居常戒愼恐懼、而不可不爲理與氣合一也、不爲理與氣合一、而適發於一時一事、則雖殺身無益於君父國家、而天之所與我之良知良能、未有尺寸之發露、而與身澌滅矣、豈非可惜乎、
新字:夫径言鹿者、雖固非黙者之比、然特発一時慷慨之意気耳、何有平生慎独不欺心如聖人之真修実功也哉、然則非浩然之気、正大之心也、非浩然之気、正大之心、而辱人猶受禍、況挫宰臣之言乎、宜哉忠言発、而陰禍臻焉、故誠欲尽孝悌忠義於倉卒顛沛之間者、居常戒慎恐懼、而不可不為理与気合一也、不為理与気合一、而適発於一時一事、則雖殺身無益於君父国家、而天之所与我之良知良能、未有尺寸之発露、而与身澌滅矣、豈非可惜乎、
書き下し
夫れ径ちに鹿と言ふ者は、固より黙する者の比に非ずと雖も、然れども特に一時慷慨の意気を発するのみ。何ぞ平生慎独して心を欺かざること聖人の如き真修実功有らんや。然らば則ち浩然の気、正大の心に非ざるなり。浩然の気、正大の心に非ずして、人を辱むるも猶禍を受く、況や宰臣の言を挫くをや。宜なるかな忠言発して、陰禍臻ること。故に誠に孝悌忠義を倉卒顛沛の間に尽くさんと欲する者は、居常戒慎恐懼して、理と気と合一を為さざるべからざるなり。理と気と合一を為さずして、適々一時一事に発すれば、則ち身を殺すと雖も君父国家に益無く、而して天の我に与ふるの良知良能、未だ尺寸の発露有らずして、身と澌滅せん。豈に惜しむべきに非ずや。
現代語訳
そもそもすぐに鹿と言った者は、もとより黙った者とは比べものにならないが、それでもただ一時の慷慨の意気を発しただけである。どうして聖人のように、ふだん独りを慎み心を欺かない真の修養と実の工夫があったろうか。そうであれば、それは浩然の気、正大の心ではない。浩然の気、正大の心でないままでは、人を辱めただけでも禍を受ける。まして宰相の言葉をくじくのであればなおさらである。忠言が発せられて陰の禍がやってくるのも当然である。だから本当に孝悌忠義を、とっさの時やつまずき倒れる時に尽くそうと思う者は、ふだんから戒慎恐懼して、理と気を一つにしなければならない。理と気が一つにならないまま、たまたま一時一事に発すれば、身を殺しても君父や国家に益はなく、天が自分に与えた良知・良能は少しも発露しないまま、身とともに消え失せてしまう。なんと惜しいことではないか。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷上・第百七十八條吾請ふ又之を説かん。趙高の君無きは、魯の三子の君無きに孰与ぞ。陳恒其の君を弑するに当りて、孔子沐浴して君に朝して曰く、「陳恒其の君を弑す、請ふ之を討たん」と。君の可かざるに因りて、又三子に之きて告ぐ。三子可かずと雖も、然れども孔子を害すること能はず、却つて孔子の告ぐるに因りて、其の君無きの心を消沮す。則ち孔子は斉を討つの事を遂げずと雖も、而して三子の心を誅すること厳なり。是に由りて之を観れば、則ち孔子の告ぐるは、一時に発するが如しと雖も、其の平生慎独して心を欺かざるの工夫、少しも間断有ること無し。故に其の浩然の気、天地の間に塞がる。蘇子の所謂、「卒然として之に遇へば、王公も其の貴を失ひ、晋楚も其の富を失ひ、良平も其の智を失ひ、賁育も其の勇を失ひ、儀秦も其の弁を失ふ」者なり。是の故に三子焉んぞ其の害を施すを得んや。若し常人諸を三子に告ぐれば、則ち陽に受けて陰に之を誅すること、又猶趙高の鹿と言ふ者を殺すがごとく然り。故に孔子をして鹿馬の事に処らしめば、径ちに鹿と言ふと雖も、趙高独り之を害すること能はざるのみならず、却つて其の心を戦かせ、其の謀を沮まん。是れ決して余人の及ぶ所に非ざるなり。
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『洗心洞箚記』卷上・第百四十條吾が心の理は、宣王牽牛の章に尽く。吾が体の気は、公孫丑養気の章に審らかなり。養気を知りて理を明らかにせずんば、則ち勇に庶くして、道を体すること誠に難し。理を明らかにするを知りて気を養はずんば、則ち怯に庶くして、道を践むこと実に艱し。故に聖学の極は、理気をして合一せしむるに在るなり。理気をして合一せしむるは、致知格物に在り。
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『洗心洞箚記』卷上・第二十六條血気は死に随ひて腐壊散滅す。夫の浩気の如きは、死に随ひて腐壊散滅せず。聖賢俊傑の道徳功烈、宇宙に赫然として、年を経て益々光輝あり。此れ何物ぞ、即ち是れ浩然の気なり。凡庸に於ては決して之無し。血肉漢憤悱せざるべからざるなり。荏苒として歳と俱に逝き、虫蟻草木の朽腐に遠からざること幾ど希なり。大哀に非ずや。大恨に非ずや。之を思へ。勤の一字、豈に忽にするを容れんや。
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『洗心洞箚記』卷上・第二十四條勇士は気を養ひて理を明らかにせず。儒者は理を明らかにして気を養はず。常人は則ち亦気を養はず亦理を明らかにせず。栄辱禍福、惟だ是れ趨避するのみ。理気合一して、天地と徳を同じくし、陰陽と功を同じくする者は、其れ惟だ聖賢か。
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『洗心洞箚記』卷上・第二十五條血気の気は血盛んなれば則ち亦盛んに、血衰ふれば則ち亦衰ふ。故に恃むに足らず。浩然の気は則ち血の盛衰に因りて以て盛衰を為さずして、常に身心に充塞し、死に至るまで衰へず変ぜず。曾子の易簀、子路の結纓の類の如き是れなり。集義の功を積みて心に慊き者に非ざるよりは、之を得る能はず。
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『洗心洞箚記』卷上・第百七十八條今一事を提げて以て之を験さん。趙高乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐れ、乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、「馬なり」と。二世笑ひて曰く、「丞相誤れるか、鹿を謂ひて馬と為す」と。左右に問ふ、或は黙し、或は馬と言ひて、以て趙高に阿順す。或は鹿と言ふ者、高因りて陰かに諸の鹿と言ふ者を中つるに法を以てす。後群臣皆高を恐る。夫れ事物の心目を移すこと、此に於て見るべし。若し聖人にして此の事に処らば、則ち平生と亦奚ぞ異ならん。只鹿と謂ひて君と心とを欺かざるのみ。或ひと曰く、彼の群臣未だ必ずしも皆馬と言はず、或は黙する者有り、或は径ちに鹿と言ひて君と心とを欺かざる者有り。而して其の君と心とを欺かざる者に在りては、則ち趙高陰かに之を中つるに法を以てす、法を以てすれば則ち必ず殺さる。聖人と雖も径ちに鹿と言はば、乃ち彼と同じく殺されんかと。曰く、夫の黙する者と馬と言ふ者とは、特に五十歩百歩の間のみ、深く弁ずるに足らず。鹿と言ひて殺さるる者に至りては、弁ずること有らずんば、則ち誰か其の惑ひを解かんや。
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