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洗心洞箚記 / 卷上・第百六十九條

朱子歎服之、是故儒者去降威者之工不著實、而不察釋氏惡之之原、只漫以異端貶釋氏、則釋氏必目儒以穢濁、是以聖經賢傳、字字句句、以只去人欲之事告後人焉耳、後人忽之何哉、故吾輩晚年末路、乃如釋氏、而稍入聖賢之彀率矣、否則多爲其所惑溺、而所立之志、所勉之功、廢墮墜壞、而終爲庸常之歸、故遵南軒之說、而又勿泥焉廢墜志勉、則可謂善學也已矣、

新字:朱子嘆服之、是故儒者去降威者之工不著実、而不察釈氏悪之之原、只漫以異端貶釈氏、則釈氏必目儒以穢濁、是以聖経賢伝、字字句句、以只去人欲之事告後人焉耳、後人忽之何哉、故吾輩晩年末路、乃如釈氏、而稍入聖賢之彀率矣、否則多為其所惑溺、而所立之志、所勉之功、廃堕墜壊、而終為庸常之帰、故遵南軒之説、而又勿泥焉廃墜志勉、則可謂善学也已矣、

書き下し

朱子之に歎服す。是の故に儒者降威の者を去るの工著実ならずして、釈氏の之を悪むの原を察せず、只漫りに異端を以て釈氏を貶せば、則ち釈氏必ず儒を目するに穢濁を以てせん。是を以て聖経賢伝、字字句句、只人欲を去るの事を以て後人に告ぐるのみ。後人之を忽にするは何ぞや。故に吾輩晩年末路、乃ち釈氏の如くにして、稍聖賢の彀率に入る。否ざれば多く其の惑溺する所と為りて、立つる所の志、勉むる所の功、廃堕墜壊して、終に庸常の帰と為らん。故に南軒の説に遵ひて、又泥みて志勉を廃墜すること勿くんば、則ち善く学ぶと謂ふべきのみ。

現代語訳

朱子はこれに感嘆して服した。だから儒者が、威を降すもの(害となる過剰)を除く工夫を着実にせず、仏教がそれを憎むもとを察しないで、ただむやみに異端だとして仏教をおとしめれば、仏教は必ず儒者を汚れ濁った者と見るだろう。それゆえ聖人の経書と賢人の伝は、一字一句、ただ人欲を除くことを後の人に告げているのである。後の人がそれをおろそかにするのはなぜか。だから我々は晩年の末路になって、ようやく仏教のように(欲を断つように)なり、いくらか聖賢の規矩に入るのである。そうでなければ多くは欲に惑い溺れ、立てた志も励んだ功も廃れ崩れて、ついには凡庸に帰してしまう。だから南軒の説に従い、しかもそれにとらわれて志と励みを捨ててしまうことがなければ、よく学ぶと言えるのである。

解説

本節は、朱子も感服した張栻の儒仏論を受けて、儒者の側の怠りを戒める。人欲を去る工夫を着実にしないまま仏教を異端と貶すなら、かえって儒者が汚濁と見なされるという。経書の一字一句は人欲を去ることを教えているのに、後人はそれを軽んじる。中斎は、晩年に至ってようやく仏教のような節制に近づき聖賢の規矩に入るのであり、そうでなければ志も功も崩れて凡庸に終わると述べる。他を批判する前に自らの実践を問うという姿勢は、他社や他部門を批判しがちな現場にも鋭く当てはまる。

この章句が説くこと

人欲志儒仏異端張栻修己

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