洗心洞箚記 / 卷上・第百四十五條
雨餘池滿、一魚潑刺、誤投身于地、展轉反側、蟻旣攻焉、予喫飯了、偶步池邊、看其狀、憫爾驅蟻、手歸諸池、圉圉洋洋以沈沒、喟然嘆久之、因遂心悟所謂命數之命矣、
新字:雨余池満、一魚溌刺、誤投身于地、展転反側、蟻既攻焉、予喫飯了、偶歩池辺、看其状、憫爾駆蟻、手帰諸池、圉圉洋洋以沈没、喟然嘆久之、因遂心悟所謂命数之命矣、
書き下し
雨余池満ち、一魚潑剌として、誤りて身を地に投じ、展転反側す、蟻既に之を攻む。予飯を喫し了りて、偶々池辺に歩み、其の状を看て、憫みて爾ち蟻を駆り、手づから諸を池に帰す。圉圉洋洋として以て沈没す。喟然として嘆ずること之を久しうし、因りて遂に心に所謂命数の命を悟れり。
現代語訳
雨上がりで池が満ち、一匹の魚が勢いよく跳ねて、誤って身を地面に投げ出し、のたうち回っていた。蟻がもうたかっていた。私は食事を終えて、たまたま池のほとりを歩き、その様子を見て、哀れに思って蟻を追い払い、手ずから魚を池に戻した。魚ははじめぐったりとし、やがて生き生きとして水に沈んでいった。私は長いあいだ深くため息をつき、それによって、いわゆる命数の命を心に悟ったのである。
解説
雨上がりに池から跳ね出て蟻にたかられていた魚を、中斎が手ずから池に戻した小さな出来事の記録である。「圉圉洋洋」は『孟子』万章上で子産の魚の話に出る語で、前に子産を論じた条と響き合う。魚が助かったのは、魚の力ではなく、たまたま食後に通りかかった中斎がいたからである。そこに、人の力を超えた命数の命、天のめぐり合わせを悟ったという。何を悟ったかを詳しく語らない余白が深い。日々の偶然の出会いに、生かされている自分を見ることができる。
この章句が説くこと
命天命生死仁偶然孟子
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『童子問』卷中問ふ。程子曰く、修養の年を引く所以、国祚の天に祈りて命を永くする所以、常人の聖人に至る所以は、皆工夫這裏に到らば、則ち此の応有り、と。夫れ修養の年を引き、資質の変化するは、皆勉めて至るべし。天に祈りて命を永くする所以に至りては、則ち独り天に係りて、人力の能く致す所に非ず。何の術か能く之を致すべき。曰く、天に祈りて命を永くするは、豈に他有らんや。亦仁と曰ふのみ。夫れ天は心無く、民の心を以て心と為す。民の心悦べば、則ち天の心悦ぶ。民の心厭へば、則ち天の心厭ふ。書に曰く、天の視るは我が民の視るに自り、天の聴くは我が民の聴くに自る、と。民の好む所を好み、民の悪む所を悪めば、民の心悦豫して、則ち以て天に祈りて命を永くすべし。
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『弁道』第七則孔門の教へ、仁を至大と為すは何ぞや。能く先王の道を挙げて之を体する者は仁なればなり。先王の道は天下を安んずるの道なり。其の道多端なりと雖も、要は天下を安んずるに帰す。其の本は天命を敬するに在り。天我に命じて天子と為し、諸侯と為し、大夫と為せば、則ち臣民の在る有り。士と為れば則ち宗族妻子の在る有り。皆我を待ちて而る後に安んずる者なり。且つや士大夫は皆其の君と天職を共にする者なり。故に君子の道は、唯仁を大と為す。且つや相親しみ相愛し、相生じ相成し、相輔け相養ひ、相匡し相救ふ者は、人の性然りと為す。故に孟子曰く、「仁なる者は人なり。合はせて之を言へば道なり」と。荀子称す、「君なる者は群なり」と。故に人の道は一人を以て言ふに非ざるなり。必ず億万人を合はせて言を為す者なり。
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『囲炉夜話』第九十六則・木訥は仁に近く巧令は仁鮮し易に居て命を俟ち、危を見て命を授く。命を言ふ者は、總て其の正を順受するに外ならず。 木訥は仁に近く、巧令は仁鮮し。仁を求むる者は、即ち從りて入るの方を知るべし。
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