洗心洞箚記 / 卷上・第百三十九條
心之太極旣復、而隨時變易、則聖賢之時中也、心之太極未復而變易、則世俗之巧僞也、而其始甚微、其終大違、故云、君子愼始、差若毫釐、繆以千里、是故未復太極之體者、一守經而已矣、
新字:心之太極既復、而随時変易、則聖賢之時中也、心之太極未復而変易、則世俗之巧偽也、而其始甚微、其終大違、故云、君子慎始、差若毫釐、繆以千里、是故未復太極之体者、一守経而已矣、
書き下し
心の太極既に復して、時に随ひて変易すれば、則ち聖賢の時中なり。心の太極未だ復せずして変易すれば、則ち世俗の巧偽なり。而して其の始めは甚だ微にして、其の終りは大いに違ふ。故に云ふ、君子は始めを慎む、差ふこと毫釐の若くして、繆ること千里を以てす、と。是の故に未だ太極の体に復せざる者は、一に経を守るのみ。
現代語訳
心の太極がすでに本来に復していて、時に従って変化すれば、それは聖賢の時中(時にかなった中庸)である。心の太極がまだ復していないのに変化すれば、それは世俗の巧みな偽りである。その始まりはごくわずかだが、その終わりは大きく違う。だから「君子は始めを慎む。わずかな差が、千里の誤りとなる」と言うのである。だから、まだ太極の本体に復していない者は、ひたすら常道を守るだけである。
解説
状況に応じて変わることは、心が本来の太極に復していれば『中庸』の言う聖賢の時中だが、そうでなければ世俗の巧妙な偽りにすぎないと言う。見た目は同じ臨機応変でも、根が違えば行き着く先は千里も違う。『礼記』経解などに引かれる「差ふこと毫釐、繆ること千里」を用いて始めを慎めと説き、心が定まらない者はひたすら経、すなわち常道を守れと結ぶ。柔軟さは美徳だが、軸のない柔軟さは保身や迎合になる。軸ができるまでは原則を守るほうが安全である。
この章句が説くこと
太極時中経中庸心原則
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