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洗心洞箚記 / 卷上・第百二十一條

薛敬軒先生自以爲氣直是難養、而二十年治一怒字、尙未消磨得盡、以是知克己尤難云、吾竊考之、先生怒、與常人怒亦奚同哉、蓋文武一怒之未熟者也歟、不有所爲而爲之者、大學之敎、而聖人之道也、

新字:薛敬軒先生自以為気直是難養、而二十年治一怒字、尚未消磨得尽、以是知克己尤難云、吾窃考之、先生怒、与常人怒亦奚同哉、蓋文武一怒之未熟者也歟、不有所為而為之者、大学之教、而聖人之道也、

書き下し

薛敬軒先生自ら以為へらく、気は直ちに是れ養ひ難し、而して二十年一の怒の字を治むるも、尚ほ未だ消磨し得て尽さず、是を以て克己の尤も難きを知る、と云ふ。吾窃かに之を考ふるに、先生の怒は、常人の怒と亦奚ぞ同じからんや。蓋し文武の一怒の未だ熟せざる者なるか。為にする所有りて之を為さざる者は、大学の教にして、聖人の道なり。

現代語訳

薛敬軒先生(薛瑄)は自ら「気はまことに養いがたい。二十年も怒という一字を治めてきたが、まだすっかり消し去ることができない。これで克己がとりわけ難しいと分かる」と言った。私がひそかに考えるに、先生の怒りは、普通の人の怒りとどうして同じであろうか。思うに、文王・武王の一怒(天下の民を安んじる義憤)がまだ熟していないものではなかろうか。何かのためにするという下心なしに行うこと、それが大学の教えであり、聖人の道である。

解説

二条を束ねた。明の朱子学者薛瑄が、二十年怒りを治めてもまだ消えないと嘆いた言葉を引く。中斎はその怒りを凡人の怒りと同じには見ず、『孟子』梁恵王下に言う、文王・武王が一たび怒って天下の民を安んじた、その義憤がまだ熟していないものだと読む。怒りを消すべき病とだけは見ない中斎らしい解釈である。続く短い条は、下心なく為すことこそ大学の教え、聖人の道だと言う。怒りが正しいかどうかは、そこに自分のためという下心があるかどうかで分かる。

この章句が説くこと

怒り克己義憤薛瑄孟子誠

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