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慎思録 / 巻之三

程子曰。吾未見嗇於財。而能爲善者也。吾未見不誠。而能爲善者也。愚謂。財者爲善之實用也。不用財。則善不虛行焉。譬如種植。不用灌漑培養之功。則無滋潤之益。故用財而後人蒙其惠。惟可爲善。苟嗇用財。則如項羽稱婦人之仁。雖言語姁姁。人不悅服矣。誠者爲善之本也。無誠則善不徒行。譬如種樹無根柢。雖培養之無益。故有誠而後善可施人。人亦信服。苟無誠。則雖以溫顏遜辭接人。然人不得而信之。程子此言。豈敢欺我乎哉。

新字:程子曰。吾未見嗇於財。而能為善者也。吾未見不誠。而能為善者也。愚謂。財者為善之実用也。不用財。則善不虚行焉。譬如種植。不用灌漑培養之功。則無滋潤之益。故用財而後人蒙其恵。惟可為善。苟嗇用財。則如項羽称婦人之仁。雖言語姁姁。人不悦服矣。誠者為善之本也。無誠則善不徒行。譬如種樹無根柢。雖培養之無益。故有誠而後善可施人。人亦信服。苟無誠。則雖以温顔遜辞接人。然人不得而信之。程子此言。豈敢欺我乎哉。

書き下し

程子曰く、吾未だ財に嗇にして、能く善を為す者を見ざるなり。吾未だ誠ならずして、能く善を為す者を見ざるなり、と。愚謂へらく、財は善を為すの実用なり。財を用ひざれば、則ち善虚しくは行はれず。譬へば種植するが如し。灌漑培養の功を用ひざれば、則ち滋潤の益無し。故に財を用ひて後に人其の恵を蒙り、惟善を為すべし。苟も財を用ふるに嗇なれば、則ち項羽の婦人の仁と称せらるるが如く、言語姁姁たりと雖も、人悦服せず。誠は善を為すの本なり。誠無ければ則ち善徒らには行はれず。譬へば樹を種うるに根柢無きが如し。之を培養すと雖も益無し。故に誠有りて後に善人に施すべく、人も亦信服す。苟も誠無ければ、則ち温顔遜辞を以て人に接すと雖も、然れども人得て之を信ぜず。程子の此の言、豈に敢て我を欺かんや。

現代語訳

程子は「財を惜しみながら善を行える者を、私は見たことがない。誠がなくて善を行える者を、私は見たことがない」と言いました。私が思うに、財は善を行うための実際の手段です。財を用いなければ、善は空しく行われるものではありません。たとえば植物を植えるようなものです。水をやり肥料をやる手間をかけなければ、潤いの益はありません。だから財を用いてこそ人はその恵みを受け、善を行うことができるのです。もし財を用いるのを惜しめば、項羽が「婦人の仁」と評されたように、言葉がやさしくても、人は喜んで従いません。誠は善を行う根本です。誠がなければ善はむなしく行われません。たとえば根のない木を植えるようなもので、いくら手入れしても益はありません。だから誠があってこそ善を人に施すことができ、人もまた信じて従うのです。もし誠がなければ、穏やかな顔とへりくだった言葉で人に接しても、人は信じません。程子のこの言葉が、どうして私たちを欺くことがありましょうか。

解説

善を行うには、実際の手段としての財と、根本としての誠の両方が要ると説きます。項羽の「婦人の仁」は『史記』淮陰侯列伝で韓信が評した言葉で、項羽は人に優しい言葉をかけながら、功ある者に与えるべき印を手の中で角がすり減るまで惜しんだとされます。益軒は言葉だけの優しさを退けつつ、財があっても誠がなければ人は信じないと両面から論じました。感謝や称賛を口にするだけでなく実際に報いること、しかもそれを真心から行うことは、人を動かすリーダーの基本です。

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