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洗心洞箚記 / 卷上・第百十三條

自程朱沒至陽明先生、其間學者沈溺於詞章文句中、未嘗能出頭、誠可憫矣、及先生起、學者始得見天日焉、故顧端文公曰、程朱沒而記誦辭章之習熾矣、所以使天下知有自心自性之當反而求者王文成也、誠哉此言也、

新字:自程朱没至陽明先生、其間学者沈溺於詞章文句中、未嘗能出頭、誠可憫矣、及先生起、学者始得見天日焉、故顧端文公曰、程朱没而記誦辞章之習熾矣、所以使天下知有自心自性之当反而求者王文成也、誠哉此言也、

書き下し

程朱没してより陽明先生に至るまで、其の間の学者は詞章文句の中に沈溺して、未だ嘗て能く頭を出さず、誠に憫むべし。先生起るに及びて、学者始めて天日を見るを得たり。故に顧端文公曰く、程朱没して記誦辞章の習熾んなり、天下をして自心自性の当に反りて求むべき有るを知らしむる所以の者は王文成なり、と。誠なるかな此の言や。

現代語訳

程子・朱子が没してから陽明先生に至るまで、その間の学者は詩文や章句の中に溺れて、頭を出すことができなかった。まことに哀れである。先生が起こるに及んで、学者ははじめて天の日を見ることができた。だから顧端文公(顧憲成)は「程朱が没して、記誦と辞章の習いが盛んになった。天下の人に、自分の心と本性に立ち返って求めるべきものがあると知らせたのは、王文成(王陽明)である」と言った。まことにこの言葉のとおりである。

解説

程朱の没後、学者は暗記と詩文の技巧に溺れていたが、王陽明が出て初めて、自分の心と本性に立ち返る学が示された、と説く。その証として、明末の東林党の領袖で、陽明後学の弊を批判したことでも知られる顧憲成の言葉を引くところが巧みである。陽明に批判的な立場からも陽明の功績は認められていたというわけだ。知識の暗記や文章の技巧が学びの中心になると、学びは自分の生き方から離れる。資格や知識を増やすことと、自分を問い直すことを取り違えないようにしたい。

この章句が説くこと

心性学問王陽明顧憲成陽明学

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