荘子 / 漁父
孔子愀然曰:「請問何謂真?」客曰:「真者,精誠之至也。不精不誠,不能動人。故強哭者雖悲不哀,強怒者雖嚴不威,強親者雖笑不和。真悲無聲而哀,真怒未發而威,真親未笑而和。真在內者,神動於外,是所以貴真也。其用於人理也,事親則慈孝,事君則忠貞,飲酒則歡樂,處喪則悲哀。忠貞以功為主,飲酒以樂為主,處喪以哀為主,事親以適為主,功成之美,無一其跡矣。事親以適,不論所以矣;飲酒以樂,不選其具矣;處喪以哀,無問其禮矣。禮者,世俗之所為也;真者,所以受於天也,自然不可易也。故聖人法天貴真,不拘於俗。愚者反此,不能法天而恤於人,不知貴真,祿祿而受變於俗,故不足。惜哉!子之早湛於人偽,而晚聞大道也!」
新字:孔子愀然曰:「請問何謂真?」客曰:「真者,精誠之至也。不精不誠,不能動人。故強哭者雖悲不哀,強怒者雖厳不威,強親者雖笑不和。真悲無声而哀,真怒未発而威,真親未笑而和。真在内者,神動於外,是所以貴真也。其用於人理也,事親則慈孝,事君則忠貞,飲酒則歓楽,処喪則悲哀。忠貞以功為主,飲酒以楽為主,処喪以哀為主,事親以適為主,功成之美,無一其跡矣。事親以適,不論所以矣;飲酒以楽,不選其具矣;処喪以哀,無問其礼矣。礼者,世俗之所為也;真者,所以受於天也,自然不可易也。故聖人法天貴真,不拘於俗。愚者反此,不能法天而恤於人,不知貴真,禄禄而受変於俗,故不足。惜哉!子之早湛於人偽,而晩聞大道也!」
書き下し
孔子愀然として曰く、「請う問う、何をか真と謂う」と。客曰く、「真なる者は、精誠の至りなり。精ならず誠ならざれば、人を動かす能わず。故に強いて哭する者は悲しむと雖も哀しからず。強いて怒る者は厳なりと雖も威あらず。強いて親しむ者は笑うと雖も和せず。真の悲しみは声無くして哀しく、真の怒りは未だ発せずして威あり、真の親しみは未だ笑わずして和す。真の内に在る者は、神は外に動く。是れ真を貴ぶ所以なり。其の人理に用うるや、親に事えては則ち慈孝、君に事えては則ち忠貞、酒を飲みては則ち歓楽、喪に処りては則ち悲哀なり。忠貞は功を以て主と為し、酒を飲むは楽を以て主と為し、喪に処るは哀を以て主と為し、親に事うるは適を以て主と為す。功成るの美は、其の跡を一にする無し。親に事うるに適を以てすれば、所以を論ぜず。酒を飲むに楽を以てすれば、其の具を選ばず。喪に処るに哀を以てすれば、其の礼を問う無し。礼なる者は、世俗の為す所なり。真なる者は、天に受くる所以なり。自然にして易(か)うべからず。故に聖人は天に法りて真を貴び、俗に拘わらず。愚者は此に反す。天に法る能わずして人を恤(うれ)え、真を貴ぶを知らず、祿祿(ろくろく)として俗に変を受く。故に足らず。惜しいかな、子の早く人偽に湛(しず)みて、晩く大道を聞くや」と。
現代語訳
孔子は顔色を改めて言った。「お尋ねします。何を『真』というのですか」。客は言った。「真とは、精と誠の極みだ。精でなく誠でなければ、人を動かすことはできない。だから無理に泣く者は、悲しんでいるようでも哀しみが伝わらない。無理に怒る者は、厳しそうに見えても威厳がない。無理に親しむ者は、笑っていても和やかにならない。真の悲しみは、声を出さなくても哀しく、真の怒りは、まだ発する前から威があり、真の親しみは、まだ笑う前から和やかだ。真が内にあれば、精神が外に働く。これが真を貴ぶ理由だ。それを人の道に用いれば、親に仕えれば慈しみと孝行になり、君に仕えれば忠実になり、酒を飲めば楽しみになり、喪に服せば哀しみになる。忠実さは功績を主とし、酒を飲むのは楽しみを主とし、喪に服すのは哀しみを主とし、親に仕えるのは親を安らげることを主とする。功績の美しさは、その跡を一つの形に定めない。親に仕えて安らげられるなら、そのやり方は問わない。酒を飲んで楽しいなら、器は選ばない。喪に服して哀しいなら、礼の作法は問わない。礼とは、世俗が作ったものだ。真とは、天から受けたものだ。自然であって、変えることができない。だから聖人は天に倣って真を貴び、俗に囚われない。愚か者はその逆だ。天に倣うことができず、人の目を気にし、真を貴ぶことを知らず、こせこせと俗に流される。だから満ち足りない。惜しいことだ。あなたが早くから人の偽りに沈み、遅くなって大いなる道を聞くとは」。
解説
この章句が説くこと
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