洗心洞箚記 / 卷上・第九十四條
孟子曰、說大人則藐之、勿視其巍巍然、註曰、巍巍、富貴高顯之貌、藐焉而不畏之、則志意舒展云云、此藐其人乎、又藐勢位乎、未分曉、而吾以爲決非藐其人、必藐勢位者、及後讀陸儼山金臺紀聞劉司直之言、斷信藐其勢位矣、而如人雖賤、道所存也、焉得藐之哉、而況有爵者乎、
新字:孟子曰、説大人則藐之、勿視其巍巍然、註曰、巍巍、富貴高顕之貌、藐焉而不畏之、則志意舒展云云、此藐其人乎、又藐勢位乎、未分暁、而吾以為決非藐其人、必藐勢位者、及後読陸儼山金台紀聞劉司直之言、断信藐其勢位矣、而如人雖賤、道所存也、焉得藐之哉、而況有爵者乎、
書き下し
孟子曰く、大人に説くには則ち之を藐んじ、其の巍巍然たるを視ること勿かれ、と。註に曰く、巍巍は、富貴高顕の貌、藐焉として之を畏れざれば、則ち志意舒展す云云、と。此れ其の人を藐んずるか、又勢位を藐んずるか、未だ分暁ならず。而して吾以為へらく、決して其の人を藐んずるに非ず、必ず勢位を藐んずる者なり、と。後に陸儼山の金台紀聞の劉司直の言を読むに及びて、断じて其の勢位を藐んずるを信ず。而して人の如きは賤しと雖も、道の存する所なり、焉んぞ之を藐んずるを得んや。而るを況んや爵有る者をや。
現代語訳
孟子は「大人(身分の高い人)に説くときは、これを軽く見て、その堂々たる様子に目を奪われるな」と言った。注(朱子の集注)には「巍巍とは富貴で高く顕れた様子である。軽く見て畏れなければ、志や思いがのびのびと述べられる」とある。これはその人を軽んじるのか、それとも勢力や地位を軽んじるのか、はっきりしなかった。私は、決してその人を軽んじるのではなく、必ず勢位を軽んじるのだと考えていた。のちに陸儼山(陸深)の『金台紀聞』にある劉司直の言葉を読んで、勢位を軽んじるのだと確信した。そもそも人は、たとえ身分が賤しくても、道の宿るところである。どうして軽んじてよかろうか。まして爵位ある人ならなおさらである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷中師資の道を問ふ。曰く、古は道を崇ぶ、故に師を尊ぶ。後世道を崇ぶことを知らず、故に師軽し。師は道の在る所なり。師を崇ぶは即ち道を崇ぶ所以なり。故に師に君臣の義有り、父子の親有り。師にして弟子の己に勝れるを喜ぶ者は、真の師なり。己に勝れるを忌む者は、悪師なり。弟子も亦之を視ること猶ほ父のごとくし、而して己の学其の師に超ゆと雖も、終身之を敬して衰へざるを道と為す。若し少しく青藍の誉有るに及びて、則ち室に入りて戈を操るの意有る者は、真の小人なるかな。
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『翁問答』上卷之本扨又己れの力らに従ひて、充分に心力を尽し、苦身を顧みす、我身と妻子の私用を第二として、一家の内にての食物の滋味を備へ、衣服の軽煖を捧げ、いかにも愉色を尽し、父母の受け悦はるゝ様に取なし、若又病ある時は良医の療治を求め、看病の労を尽しぬるは、能く養ふの大槪なり、若又父母不義あらば、何と無く父母感悟ある様に諫むべし、若又父母悦ばずして怒りを成さば、別して色を悦ばしめ、孝を起し敬を起して、親の怒に逆ふべからず、如此幾度も諫め或は親の相ひ口の友を頼みて諫むべし、親には道を悟らしむる様にするが、孝の第一なり、父母既に天年限り在て、永き別れの憂へに当る時は、哀み誠を尽し礼法を以て葬を成し、喪に居て哀戚を尽し宗廟祠堂を立て、鬼神に事へ、四時俗節忌日の祭には、誠敬を尽して合奠の孝を押極むるを、子の孝と云なり、
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