童子問 / 卷中
問師資之道。曰。古者崇道。故尊師。後世不知崇道。故師輕。師者道之所在。崇師即所以崇道也。故師有君臣之義。有父子之親。師而喜弟子之勝己者。眞師也。忌勝己者。惡師也。弟子亦視之猶父。而己之學雖超于其師。終身敬之而不衰爲道。若及少有靑藍之譽。則有入室操戈之意者。眞小人哉。
新字:問師資之道。曰。古者崇道。故尊師。後世不知崇道。故師軽。師者道之所在。崇師即所以崇道也。故師有君臣之義。有父子之親。師而喜弟子之勝己者。真師也。忌勝己者。悪師也。弟子亦視之猶父。而己之学雖超于其師。終身敬之而不衰為道。若及少有青藍之誉。則有入室操戈之意者。真小人哉。
書き下し
師資の道を問ふ。曰く、古は道を崇ぶ、故に師を尊ぶ。後世道を崇ぶことを知らず、故に師軽し。師は道の在る所なり。師を崇ぶは即ち道を崇ぶ所以なり。故に師に君臣の義有り、父子の親有り。師にして弟子の己に勝れるを喜ぶ者は、真の師なり。己に勝れるを忌む者は、悪師なり。弟子も亦之を視ること猶ほ父のごとくし、而して己の学其の師に超ゆと雖も、終身之を敬して衰へざるを道と為す。若し少しく青藍の誉有るに及びて、則ち室に入りて戈を操るの意有る者は、真の小人なるかな。
現代語訳
師と弟子の道について問うた。答えていう。昔の人は道を尊んだので、師を尊んだ。後の世の人は道を尊ぶことを知らないので、師が軽んじられる。師とは道のあるところである。師を尊ぶことは、とりもなおさず道を尊ぶことである。だから師弟のあいだには君臣の義があり、父子の親しみがある。師であって弟子が自分より優れることを喜ぶ者こそ、真の師である。自分より優れることを嫌う者は悪い師である。弟子もまた師を父のように見て、自分の学問がたとえ師を超えても、生涯敬って衰えないのが道である。少しばかり「青は藍より出でて藍より青し」の誉れを得たとたん、師の部屋に入り込んで矛を向けるような気持ちを起こす者は、まことの小人である。
解説
この章句が説くこと
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