洗心洞箚記 / 卷上・第八十七條
或問、子產之於孔子、仁智如何、曰、仁固不及、而智亦不及也、請論之以小不以大、子產使校人畜生魚池、此不欲妄殺而放之水也、庶乎仁、而校人烹之、反命曰、圉圉焉、洋洋焉、攸然而逝、子產信之、此雖有欺罔之別、果智乎、抑不智乎、孔子之畜狗死、埋之以席、毋令首陷焉仁也、其不使僕隷、而使高第端木氏智也、使僕隷、則未可知如孔子之指令毋令首陷也、如令首陷、則非但不智、其仁亦爲之失矣、子之於小事、自然周致不漏猶如此、是聖人之所以爲聖人、而非子產之所及也、而子產安得盡仁智也哉、如亦盡仁智而無憾、便是亦聖矣、非特子產而已也、
新字:或問、子産之於孔子、仁智如何、曰、仁固不及、而智亦不及也、請論之以小不以大、子産使校人畜生魚池、此不欲妄殺而放之水也、庶乎仁、而校人烹之、反命曰、圉圉焉、洋洋焉、攸然而逝、子産信之、此雖有欺罔之別、果智乎、抑不智乎、孔子之畜狗死、埋之以席、毋令首陥焉仁也、其不使僕隷、而使高第端木氏智也、使僕隷、則未可知如孔子之指令毋令首陥也、如令首陥、則非但不智、其仁亦為之失矣、子之於小事、自然周致不漏猶如此、是聖人之所以為聖人、而非子産之所及也、而子産安得尽仁智也哉、如亦尽仁智而無憾、便是亦聖矣、非特子産而已也、
書き下し
或ひと問ふ、子産の孔子に於ける、仁智如何。曰く、仁固より及ばず、而して智も亦及ばざるなり。請ふ之を論ずるに小を以てし大を以てせざらん。子産校人をして生魚を池に畜はしむ。此れ妄りに殺すを欲せずして之を水に放つなり、仁に庶し。而るに校人之を烹て、反命して曰く、圉圉焉たり、洋洋焉たり、攸然として逝けり、と。子産之を信ず。此れ欺罔の別有りと雖も、果して智なるか、抑も不智なるか。孔子の畜狗死して、之を埋むるに席を以てし、首をして陥らしむる毋かれとするは仁なり。其の僕隷をしてせしめずして、高第の端木氏をしてせしむるは智なり。僕隷をしてせしむれば、則ち未だ孔子の指令の首をして陥らしむる毋かれとするが如くなるを知るべからざるなり。如し首をして陥らしめば、則ち但だ不智なるのみに非ず、其の仁も亦之が為に失はれん。子の小事に於ける、自然に周致して漏らさざること猶ほ此の如し。是れ聖人の聖人たる所以にして、子産の及ぶ所に非ざるなり。而して子産安んぞ仁智を尽すを得んや。如し亦仁智を尽して憾み無くんば、便ち是れ亦聖なり、特だ子産のみに非ざるなり。
現代語訳
ある人が問うた。「子産(鄭の宰相)は孔子に比べて、仁と智はどうか。」答えて言う。「仁はもとより及ばず、智もまた及ばない。大きな事ではなく小さな事で論じさせてほしい。子産は池の番人に生きた魚を池で飼わせた。これはむやみに殺すことを望まず水に放したのであり、仁に近い。ところが番人はこれを煮て食べ、報告して『はじめはぐったりしていましたが、やがて生き生きとして、すいすいと泳ぎ去りました』と言った。子産はこれを信じた。これは欺かれたという事情はあるにせよ、はたして智であろうか、それとも智でないであろうか。孔子の飼い犬が死んで、筵で包んで埋め、頭が土に埋もれないようにさせたのは仁である。召使いにさせず高弟の端木氏(子貢)にさせたのは智である。召使いにさせれば、孔子の『頭を埋もれさせるな』という指示どおりにするかどうか分からない。もし頭を埋もれさせてしまえば、智でないばかりか、その仁もまたそのために失われる。孔子が小事にさえ自然に行き届いて漏れがないのはこのとおりである。これが聖人の聖人たるゆえんであり、子産の及ぶところではない。だから子産がどうして仁と智を尽くせようか。もし仁と智を尽くして欠けるところがなければ、それはもう聖人であり、子産に限った話ではないのである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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