洗心洞箚記 / 卷上・第七十九條
慶雲鳴雷凄風和氣、皆是太虛之象、而不常有、然有時出焉、喜怒哀樂、皆是人心之情、而不常有、然有時起焉、故喜怒哀樂、便是天之慶雲鳴雷凄風和氣、而慶雲鳴雷凄風和氣、便是人之喜怒哀樂也、元是不二矣、然而人不歸乎太虛、而喜怒哀樂、任情起滅、則亡德喪身之基也、故君子愼獨歸乎太虛、惟是之務、是以當喜怒哀樂之境、尤忍而不輕起焉、如吾者則反之、宜愼也、不遷怒、不貳過、學者所效法、然不用克己之苦功、而不遷怒、不貳過、則非柔惰不振之士、必掩奸飾非者也、
新字:慶雲鳴雷凄風和気、皆是太虚之象、而不常有、然有時出焉、喜怒哀楽、皆是人心之情、而不常有、然有時起焉、故喜怒哀楽、便是天之慶雲鳴雷凄風和気、而慶雲鳴雷凄風和気、便是人之喜怒哀楽也、元是不二矣、然而人不帰乎太虚、而喜怒哀楽、任情起滅、則亡徳喪身之基也、故君子慎独帰乎太虚、惟是之務、是以当喜怒哀楽之境、尤忍而不軽起焉、如吾者則反之、宜慎也、不遷怒、不貳過、学者所効法、然不用克己之苦功、而不遷怒、不貳過、則非柔惰不振之士、必掩奸飾非者也、
書き下し
慶雲・鳴雷・凄風・和気は、皆是れ太虚の象にして、常には有らず、然れども時有りて出づ。喜怒哀楽は、皆是れ人心の情にして、常には有らず、然れども時有りて起る。故に喜怒哀楽は、便ち是れ天の慶雲鳴雷凄風和気にして、慶雲鳴雷凄風和気は、便ち是れ人の喜怒哀楽なり。元是れ二ならず。然り而して人太虚に帰せずして、喜怒哀楽、情に任せて起滅すれば、則ち徳を亡ひ身を喪ふの基なり。故に君子は独を慎みて太虚に帰す、惟だ是れを之れ務む。是を以て喜怒哀楽の境に当りて、尤も忍びて軽々しく起さず。吾が如き者は則ち之に反す、宜しく慎むべきなり。怒りを遷さず、過ちを貳びせざるは、学者の効法する所なり。然れども克己の苦功を用ひずして、怒りを遷さず、過ちを貳びせざれば、則ち柔惰不振の士に非ずんば、必ず奸を掩ひ非を飾る者なり。
現代語訳
めでたい雲、鳴る雷、冷たい風、穏やかな気は、みな太虚の現れであり、いつもあるわけではないが、時に現れる。喜怒哀楽はみな人の心の情であり、いつもあるわけではないが、時に起こる。だから喜怒哀楽はそのまま天のめでたい雲・雷・冷たい風・穏やかな気であり、それらはそのまま人の喜怒哀楽である。もともと二つではない。ところが人が太虚に帰らずに、喜怒哀楽を情のままに起こしたり消したりすれば、徳を失い身を滅ぼすもとになる。だから君子は独りを慎んで太虚に帰ることだけに努める。それゆえ喜怒哀楽の場面に当たって、とりわけこらえて軽々しく起こさない。私のような者はその逆なので、慎まねばならない。怒りを他に移さず、同じ過ちを二度しないことは、学ぶ者が手本とするところである。しかし克己の苦しい努力をせずに怒りを移さず過ちを繰り返さないのなら、それは柔弱で怠惰な振るわない人物か、さもなければ必ず悪を隠し非を飾る者である。
解説
この章句が説くこと
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