洗心洞箚記 / 卷上・第七十五條
我常以一日爲一年、歷度光陰焉、因近讀古人以一日爲百年、以百年爲一日之語、悟道無窮、而學無際也、或問、子以一日爲一年之義、如何、予笑而不答、再三請、因曰、予非有他術也、只日以子丑實爲仲冬季冬之時、以寅卯辰實爲孟春仲春季春之時、以巳午未實爲孟夏仲夏季夏之時、以申酉戌實爲孟秋仲秋季秋之時、而以亥實爲初冬之時、而寤寐常見吾性、仁義禮智之妙、與天運一箇、更不有須臾之間斷也、如一有間斷、則禽而非人、死而非生、是故致良知以省察修治、則起臥至瑣屑之事、不能叛仁義禮智而行之也、工夫於是、則以一日爲一年猶未矣、雖爲百年可也、故送一日之光陰、豈亦容易也哉、予因再三之請、不得已以吐露之也、冀以吾言勿矜大矣、
新字:我常以一日為一年、歴度光陰焉、因近読古人以一日為百年、以百年為一日之語、悟道無窮、而学無際也、或問、子以一日為一年之義、如何、予笑而不答、再三請、因曰、予非有他術也、只日以子丑実為仲冬季冬之時、以寅卯辰実為孟春仲春季春之時、以巳午未実為孟夏仲夏季夏之時、以申酉戌実為孟秋仲秋季秋之時、而以亥実為初冬之時、而寤寐常見吾性、仁義礼智之妙、与天運一箇、更不有須臾之間断也、如一有間断、則禽而非人、死而非生、是故致良知以省察修治、則起臥至瑣屑之事、不能叛仁義礼智而行之也、工夫於是、則以一日為一年猶未矣、雖為百年可也、故送一日之光陰、豈亦容易也哉、予因再三之請、不得已以吐露之也、冀以吾言勿矜大矣、
書き下し
我常に一日を以て一年と為し、光陰を歴度す。近ごろ古人の一日を以て百年と為し、百年を以て一日と為すの語を読むに因りて、道は窮まり無く、学は際無きを悟るなり。或ひと問ふ、子の一日を以て一年と為すの義、如何。予笑ひて答へず。再三請ふ。因りて曰く、予他術有るに非ざるなり。只だ日ごとに子丑を以て実に仲冬季冬の時と為し、寅卯辰を以て実に孟春仲春季春の時と為し、巳午未を以て実に孟夏仲夏季夏の時と為し、申酉戌を以て実に孟秋仲秋季秋の時と為し、而して亥を以て実に初冬の時と為す。而して寤寐常に吾が性を見る、仁義礼智の妙、天運と一箇にして、更に須臾の間断有らざるなり。如し一たび間断有らば、則ち禽にして人に非ず、死にして生に非ず。是の故に良知を致して以て省察修治すれば、則ち起臥より瑣屑の事に至るまで、仁義礼智に叛きて之を行ふ能はざるなり。工夫是に於てせば、則ち一日を以て一年と為すも猶ほ未だし、百年と為すと雖も可なり。故に一日の光陰を送る、豈に亦容易ならんや。予再三の請に因りて、已むを得ずして以て之を吐露するなり。冀はくは吾が言を以て矜大とする勿かれ。
現代語訳
私はいつも一日を一年として時を過ごしている。近ごろ古人の「一日を百年とし、百年を一日とする」という言葉を読んで、道には窮まりがなく、学には果てがないと悟った。ある人が問うた。「あなたの、一日を一年とするというのはどういう意味か。」私は笑って答えなかった。再三求められたので言った。「私に特別な術があるわけではない。ただ毎日、子・丑の刻を本当に仲冬・季冬(十一月・十二月)の時とし、寅・卯・辰を孟春・仲春・季春の時とし、巳・午・未を孟夏・仲夏・季夏の時とし、申・酉・戌を孟秋・仲秋・季秋の時とし、亥を初冬の時とする。そして寝ても覚めても常にわが性を見る。仁義礼智の妙は天の運行と一つで、ほんのしばらくの途切れもない。もし一度でも途切れれば、それは禽獣であって人ではなく、死であって生ではない。だから良知を致して省察し修め治めれば、起き伏しからこまごました事に至るまで、仁義礼智に背いて行うことはできない。工夫がここにあれば、一日を一年とするのでもまだ足りず、百年としてもよい。だから一日の時を送るのは、どうしてたやすいことであろうか。」再三求められたので、やむを得ずこれを打ち明けたのである。どうか私の言葉を大言壮語と思わないでほしい。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷下・第百一條小程子曰く、一人の心は、即ち天地の心なり。一物の理は、即ち万物の理なり。一日の運は、即ち一歳の運なり、と。吾姚江致良知の教を奉ずと雖も、二程子の説を以て徴と為すなり。而して伊川先生の此の語に於て、賜はる所甚だ少なからず。人如し能く心性を了すれば、則ち理と運も亦た心のみ、別物に非ざるなり。先生分別して之を説くは、童蒙の為のみ。
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